ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.63

箸休め

「イイナマコ イイマナコ イキテルアカシ」②

 しばらくして目の前に置かれた小皿には、キュートなナマコが合わせ酢に気持ち良さそうに浸かって、コチラ側の私たちを覗き込んでいる。

 「ワタシタチ、イイナマコヨ~」

 とでも言いたげな、そんなナマコの表情である。

 「ナマコには目がない」というだけあって、Aくんのお箸は、すでにもう、あと、ほんの数センチメートルというトコロにまで迫っていた。

 そんな、ナマコ危機一髪の状況下で、私は、ほぼ無意識に、ナマコのマナコを探していたのである。でも、やはり、ナマコのマナコは見当たらない。「やっぱりナマコには目がないですね」、と、しつこく、Aくんに最終通告をする。

 するとAくんは、実に美味しそうにナマコを口に含みながら、目一杯の満足顔で、そんな、しつこい、私に、こう語り掛けるのである。

 マナコが見当たらないナマコには、「目ヂカラ」も「マナコヂカラ」もないのだろうけれど、それでもそれを上回る「ナマコヂカラ」がある、と。

 ナマコヂカラ?

 ほとんどワケがわからない、Aくんの「イイナマコにはナマコヂカラ」理論ではあるけれど、ナマコに目がないとか、あるとか、といった、そんなコトとは全く関係なく、私なりに、私なりにの、一つの結論に辿り着く。

 ソレゾレに、ソレゾレの、光輝く「〇〇ヂカラ」が、キラキラと、ランランと、きっと、ある。間違いなく、ある!。だから、だからこそ、ピーポーたちは、ソレゾレの分野でソレゾレの個性溢れるチカラを、キラキラと、ランランと、発揮するコトができるのだろうな。

(つづく)