止め肴 その九
「ケンリョク ハ ケンキョリョク」
このところ、そこかしこで、あまりにもイロイロなコトが起こったりするものだから、心を痛めることにも、悩ますことにも、コト欠かない。自然災害も含めて、あの「想定外」のオンパレードである。
そんな中、やはり問われるのは、先ほども少し触れたが、いわゆるリーダーと呼ばれる方々の、そのイニシアチブであり、リーダーシップである。
待ったなしの迅速な対応が要求されるときに、会議もヘッタクレもない。そういう意味でも、世のリーダー(シモジモじゃないエライ人)たちは、組織を束ね、逆境を乗り越え、切り開いていくパワー、「権力」、を、持ち合わせていなければならないだろうと、この私でさえ、思う。
しかしながら、どうもこの「権力」、たいていは扱い方を間違える。間違えているうちに、方向性を見失い、下手をすると、権力を行使する者の人格まで変えてしまう、という恐ろしさまで秘めているものだから、マジで厄介だ。というのがAくんの持論。ちょっと極端かな、という気もしなくはないけれど、世の中の権力者たちを見るにつけ、たしかに、そんな気も、しなくはない。
Aくんは訴える。
「謙虚さなき権力は、爆走する暴力」、と。
つまり、謙虚さと権力、その両者の絶妙なバランスがあってこその「権力」だということなのだろう。
そして、さらにAくんは、謙虚であるためには、ソコに、かなりのチカラがいるのだ、と、補足する。
そのチカラを、Aくんは、「謙虚力」と呼んでいた。
そう、謙虚力。
謙虚力なき権力は、私たちが考える以上に、トコトン恐ろしく、罪深い。
(つづく)