ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.37

箸休め

「ヤヤコシイ ヤヤコシイ パワハラハラ セクハラハラ」

 ドウ考えても理不尽、ドコから見ても差別的、な、ソンな悪しき圧力に、耐えに耐え続けてきた圧倒的弱者による勇気と正義の一撃。その一念発起パワーは、必ずや「パワハラー」や「セクハラー」といった現代社会の悪魔たちの、その腐敗した魂に風穴をあけるに違いない。それほど巷には、旧態依然とした悪魔が、まだまだゴロゴロと棲息している、というわけだ。

 しかしながら、この問題には、ナニやらドウも、コトをヤタラとヤヤこしくしてしまっている妙なモノが、ベチャッとへばり付いているように思えてならない。そのヤヤこしさが、そのまま、「パワハラ、セクハラ」を「パワハラハラ、セクハラハラ」にスライドさせている。

 そう、パワハラハラ、セクハラハラ。

 そう、いつだって、ハラハラ、ドキドキ。

 世の中には、確信犯的な根っからのトンでもない悪魔、パワハラー、セクハラー、と、そんな悪魔の自覚など微塵もない、むしろ私はどちらかと言えば善良な一般ピーポーだと、都合よく思い込んでいるトンでもない悪魔、パワハラー、セクハラー、とが、見事に共存している、ように思える。もちろん、当然のごとく、ドチラもトンでもなく罪深い悪魔たちなのだけれど、今、私が、ナニやらドウもヤタラとヤヤこしい、と、感じているコトは、そのドチラのコトでもない。

 私が、ヤヤこしいと感じているコト、ソレは・・・。

 そのような悪魔たちとは無縁の、気弱な一般ピーポーたちが、必要以上に己の言動にハラハラドキドキしているコト。ソコに、どうしても、シックリこない違和感を、以前からズッと抱き続けているのである。

 そう、必要以上の、ハラハラ、ドキドキ。

 そんな己の言動の表層の部分でハラハラドキドキするぐらいなら、まず、自分自身のモノの考え方、価値観、といったモノのアレやコレやを、まず、ジックリと、腰を据えて見つめ直してみてはどうだろうか。

 自分という人間は、いったいどういう人間なのか。

 ナニを大切にし、ナニを思い、ナニを考えているのか。

 ソコには、後ろめたいモノなど微塵もないのか。

 ソコには、悪魔は棲み付いていないのか。

 ハラハラドキドキのその前に、まず、己という人間を知ることから始めないと、いつまでも、己の言動に、自信もナニももてないままハラハラドキドキし続けなければならないような気がする。

 そう、ナニよりもまず、自信をもてる己であるコトが大事。その努力が大事。

 自信をもてる真っ当な己であるならば、そんな己の言動の表層の一つひとつに、ハラハラ、ドキドキ、するコトもないし、その必要もない、はずである。

 ヤヤもするとドウしても、自信なげにハラハラドキドキしてしまいがちな同士諸君よ。共に、力強く、逞(タクマ)しく、生きていこう。(つづく)