ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.38

強肴 その七

「ハシルコトジャナイコト デ ハシルコト ヲ ヤル」 (末續慎吾) 

 走ることじゃないことで、走ることをやる。

 自分、あるいは、自分が取り組んでいるコト、とは、全く関係がない、接点がない、と、思われるコトの中に、自分自身が陸上短距離走者として更なるステップアップをするためのナニかがある、ということなのだろうか。Aくんお気に入りの、あるアスリートの名言である。

 以前からAくんは、「ドコからドウ見ても全くスキのない如何にも研修という感じの研修が、無難だということもあって、ハバを利かせているが、本来、研修というモノは、そんな研修研修した研修みたいなモノだけが研修というわけじゃないんだ!」、と、よく訴えていた。

 研修じゃないことで、研修をやる。

 大切なナニか、は、実は、そこかしこに潜んでいる。

 ソレが、Aくんの持論である。だからこそ、ナニモノにも束縛されない自由な、自主的な、研修権が保障されなければならない、らしい。そういえば、あるノーベル賞受賞者も、無駄にしか思えないような研究からトンでもなく素晴らしいナニかが生まれてくることがある、みたいなコトを言っていたような気がする。

 しかしながら、そんなAくんの「真実の研修にこそ大切なナニかが潜む」理論も、「ナンだカンだ言ったところで、結局、広がりも深みもない、お決まりの、カタチだけの研修でないと研修とは認めてもらえないわけで。ホント、もう、悲しくなるほど学校の先生のヤル気も脳ミソも萎(シボ)んでいくわけよ、プスンプスンとね」、と、いう、ヤケクソ気味のボヤき節、ナゲき節で幕を下ろすのが、このところのオキマリみたいになってしまっている。

 プスンプスンとね、か~。

 もちろん、Aくんのその気持ち、わからなくはない。

 委員会の目も、世間の目も、現場の先生方に好意的とは、到底、思えない。だから、「研修じゃないことで、研修をやる」などと言ったところで、まず、受け入れられはしないだろう。けれど、ソレでも、やっぱり、ヤル気も脳ミソも萎んでしまう、などというコトだけは、子どもたちのためにも、この国の教育の未来のためにも、絶対に、ナンとしてでも避けてもらいたい、と、思う。

 がんばれ、Aくん!

 がんばれ、学校の先生たち!

 言うまでもなく、電光石火で、「おまえも」、いや、「おまえこそ、がんばれよ!」、と、言い返されてしまいそうだけれど。

(つづく)