ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.24

 鉢魚 その六

「シノビヨル ガンジガラメ ワールド」

 クルマのハンドルにアソビがなければ運転なんて怖くてできやしない、と、同様に、教育の現場のみならず、おそらく、どの職場も、絶対にガッチガチではダメ。フットワークよく縦横無尽に動き、暴れ回れる環境でないと、ホント、もう、どうしようもない。とくに、やりたい、試してみたい、という思いに満ち溢れた熱き若者たちには、そういう環境が必要。にもかかわらず、現場は、職場は、日に日にガンジガラめだ。すでに、もう、思い切ったことができにくい時代に突入してしまっている。実に困ったことである。と、一気に捲し立てたあの日のAくんの表情は、いつも以上に暗く重く見えた。おそらく、私の思い違いではないと思う。

 しかし、そのガンジガラめ化の残念な一翼を、シモジモであるエラクナイ人たちの「調子に乗りすぎた」過去、が、担っているのもまた事実であり、襟を正さなければならない、と、Aくん、珍しく謙虚に言い添えていた。残念ながら、ソレほど、一部のいい加減な学校の先生たちによるいい加減なコトが目立っていた、ということなのだろう。

 だがしかし、だからといって若者たちの情熱を、そしてやる気を失わせてしまうようなガンジガラメワールドでイイってことにはならない、と、熱く、熱く訴える。

 でも、悲しいかな、Aくんが強気なのもソコまで。

 とはいうものの、ソンなコンなでジワジワと、パワーアップしつつ忍び寄る「ガンジガラめ化」感に影響を受けてしまったのか、魂が染まってしまったのか、未来ある若者たちの中に、「ホシンヒューマクン」やら「ブナンミン」やらの小さな小さな種子が、すでに、もう、人知れず、自分自身も気付くことなく、植え付けられ、発芽し、育ちつつあるように思えて、ならないんだよな~、という、Aくんらしからぬ嘆き節を、徐々に、度々、耳にするようになりつつあったのである。

 そして、その嘆き節は、深まる秋(だったと思う)の夜空に、力なく吸い込まれていったような、そんな気がしたことを、今でもハッキリと覚えている。(つづく)