箸休め
「コンガラドウジ ノ キモチ」
Aくんは、上々のハードロックファンなのだけれど、私は私で、中々の仏像フェチ。とくに、「仏像界のハードロッカー」と、勝手に思っている「不動明王」に、ゾッコンなのである。
そんな私が、このところ、少々気になっている、ある仏像がある。
その、仏像とは。
不動明王の脇に、遠慮深げにヒッソリと御座(オワ)します、そう、矜羯羅童子(コンガラドウジ)。不動明王がハードロッカーなら、さしずめ矜羯羅童子は、「フォークシンガー」といったところかな~、などと、私は、コッソリ、思っている。
そんな、ドコまでも愛くるしい矜羯羅童子の容姿もさることながら、そのキモチも、というか、むしろ、ソチラの方が好きだったりする。
「ナンデモイッテ、クダサイネ、ドコマデモ、ツイテイキマスワ」
「ケナゲ(健気)」というコトバは、まさに、矜羯羅童子のためにあるのではないか、とさえ思ってしまうほどである。
だがしかし、このケナゲな矜羯羅童子のキモチ、あまりにも自分自身を殺しすぎということもあって、モンダイが全くないとは言い切れない。
あえてココで、もう一歩、二歩、踏み込んで考えてみることにしよう。
捨て置けないモンダイは、いったい、ドコにあるのか。
すると、徐々に、このケナゲな矜羯羅童子のその「ケナゲ」がモンダイというよりは、むしろ、ソレを受け止める側のモンダイなのではないのか、という思いがズンズンと膨らんでくる。
間違っても不動明王が、そんな、私が危惧するようなコトを行ってしまうとは微塵も思わないが、人間は、どうしても調子にも乗るし図にも乗る。ついつい、そのケナゲさに付け込み、そして、そうしたキモチを、見事なまでに踏みにじり、がちだ。
つまり、ケナゲは、ヤヤもすると相手の心の奥深くに、ダークな卵を生み落としてしまいかねない、という、宿命を背負っている、かも、というわけだ。
ケナゲな矜羯羅童子のそのキモチを、上手い具合に、自分にとって都合がいいように利用してやろう、としか考えられないとしたら、もう、ナニもカもがコンガラがって、全て丸ごと台無しになってしまうような気がする。ケナゲな矜羯羅童子のキモチを、コンガラせては、絶対にいけないのである。
私たちは、そのコトを、肝に銘じておく必要がありそうだ。
(つづく)