ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.18

鉢魚 その壱

「ゼンノゼンレイデモリションマン

 ナニかがあったのだろう。

 あの日もAくんは、ちょっとしたお怒りモードであった。

 「悪」の前例になることに、「トンでもない!」というのは充分に理解できるが、「善」の前例でも、異常なほどに慎重というのは全くもって理解できない、と、落胆を隠せないAくん。ソレが「悪」であろうが「善」であろうが、自分が前例になるコト自体が、悪魔の所業とでも思っているのであろうか、と、さらに、ソコに被せるように突っ込みを入れる。

 だがしかし、あの人たちは、誰よりもその前例に期待しているのもまた事実、と、Aくんは補足する。

 自らがその前例になるコトには随分と臆病だが、前例があるコトには、結構、寛大である、という。つまり、自分以外の誰かに、その前例レールを敷いてほしいのだ。レールさえ敷いてあれば、ひょっとしたら「善」ではなく「悪」であったとしても、・・・というコトもあったりするのかもしれない。ソレぐらい、主体的に自ら切り開いていくコトが、苦手なのだろう。

 たしかに、災害時の行政の初動対応などを見るにつけ、「なるほどな~、前例があるかないかで随分と違ってくるんだな」、と、納得してしまうコトがある。

 あのシルベスター・スタローンが壊し屋を演じる『デモリションマン』というSFアクション映画があったが、たとえ「善」の前例でも、無意識のうちに(ひょっとしたら意識的に)ブッ壊してしまう壊し屋、「ゼンノゼンレイデモリションマン」が、行政ワールドのそこかしこにウヨウヨしている、のかもしれない。(つづく)