ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.17

箸休め

「ヨーシキビーム!」

 まだまだ幼気(イタイケ)で初(ウブ)な青少年であった頃、Aくんは、ハードロックなるガンガンの音楽が大好きであった、らしい。とくに、黎明(レイメイ)期のソレがもつ爆発的なエナジーの虜になったようだ。

 そんなハードロック系の熱き話題、に、突入する度にAくんは、そうした爆発的なエナジーの根幹にあるのは、「頽廃(タイハイ)的」で「反体制的」という、ちょっと物騒な両者の有機的かつパワフルな結合なんだ、と、熱く、熱く語る。

 つまり、「頽廃的」と「反体制的」との結合体に、ある種の「破壊」までがビタビタビタ~っとへばり付き、「そんなコトでいいのかよ!」、「いいわけねえだろ、バカ野郎~!」みたいな、そんな感じで、エナジーが、更なる、更なるエナジーを生みまくりたおして、ハードロックは爆発するのだ、という。

 意味はほとんどわからないけれど、その熱量だけは充分に伝わってくる。

 ところが、そんなハードロックであるにもかかわらず、その魂を、徐々に蝕(ムシバ)んでいったモノがある、らしいのだ。

 ソレが、「様式美」。

 コイツが実に厄介なんだ。ハードロックは、能とか狂言とか文楽とか歌舞伎とか、とは全く違う、違うんだよな~、と、Aくん、心地よい酔いも手伝って、吠えに吠えて、吠えまくる。

 なにやら、その「様式美」、が、放つ、「ヨーシキビーム」なるものが実に厄介な曲者(クセモノ)で、あまりにもキラキラキラッと輝いていたりするものだから、その「旨み」に、おもわず、ハードロックの「核」である魂を抜かれてしまう、というわけだ。

 もちろん、Aくんにはタイヘン申し訳ないが、先ほどの「爆発」同様この「ヨーシキビーム」も、サッパリわけがわからない。のだけれど、ただ、何度も、何度もこの「様式美」論を耳にしているうちに、私なりに、わかってきたコトはある。

 ソレは、つまり、様式美の代表選手のように思われがちな能や狂言文楽や歌舞伎ではあるけれど、ソレらがもつ様式美は、けっして、ヨーシキビームなどというモノを放ったりはしない、ということ。

 そんな、「キラキラキラッと」に魂を抜かれるのではなく、その漆黒の深い闇から「ジワジワジワッと」吹き上がる魂の静かなる爆発に、ただひたすら心を奪われるだけなのだ。

 そう、魂の静かなる、爆発。

 そういう意味で、私がお気に入りの、良質な能や狂言文楽や歌舞伎といった古典芸能も、Aくんイチオシの、黎明期のハードロックたちも、その根っこのトコロは全く同じ、というコトになるのかもしれない。

 パッと見は、随分と違う両者のように見えるけれど、ドチラも、間違いなくシッカリと、爆発している。そのコトだけは、いつの日かAくんに、伝えなければなるまいと、決意を新たにする私なのである。(つづく)