ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.15

向付け その四

「ウエカラメセンセイ」

 Aくんの分析(とはいっても、国際基準には全く適合していない分析方法だけれども)によると、「センセイ」と呼ばれる方々は、どうも、「上から目線でモノを言う」傾向にある、ということだ。

 そんな、上から目線になりがちなセンセイを、Aくんは、「ウエカラメセンセイ」と呼ぶ。

 では、ナゼ、上から目線になりがちなのか。

 ひょっとすると「センセイ」という言葉そのものに、ナニかそういう一種麻薬的なチカラのようなモノがあるのかもしれない。

 つまり、「センセイ」と呼ばれてソノ気になる、図に乗る、みたいな、そんな感じだ。

 と、なると、人はそう易々と「センセイ」などと呼ばれてはいけないのかも。「センセイ」などと呼ばれてしまうから、目の位置がドンドンとせり上がっていく。せり上がった目に「見上げる」という選択肢は、ない。

 とはいうものの、巷にあふれる「センセイ」とは違って、学校の先生は、もともと先生なのだから、「センセイ」と呼ばれることから、そう簡単には逃(ノガ)れられない。

 だから、ココは、かなり気持ちを引き締めてかからねばならない。

 「センセイ」と呼ばれるたびに、意識して、目の位置をずり下げていくぐらいで丁度いい。ソレぐらいでないと、どうしても、「センセイ、センセイ」と呼ばれているうちに、ついつい、目の位置がせり上がっていくような気がする。(つづく)