ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.14

向付け その三

「イスワリスト」

 「居座る」という言葉に良い印象はない。

 執着、保身、地位、権力、蜜の味・・・その言葉から頭に浮かぶモノにも、ナンとなくダークなイメージが付き纏(マト)う。

 そんな「居座る」に、命を懸けるのが「イスワリスト」である、らしい。

 ナニが起ころうとも、ナンと言われようとも、たとえば誰かに「ヤメれば」と促されようともだ、決して途中で投げ出したりしてはいけない。居座れる力こそが、プロフェッショナルとしての本当の「チカラ」なのである。

 イスワリストたちは、そう信じて疑わない。たしかに、到底、私には、到達できそうにない境地だ。おそらくAくんも同じだと思う。けれど、ナニかが引っ掛かる。

 そのナニかとは。

 そのナニかとは、おそらく、そんなイスワリストたちの動力源、命の源。

 きっと、居座るソコに、居座れるだけのナニやら「蜜」のようなナニかがあるに違いない。

 そう、そんな、甘い甘い蜜のようなナニかがソコにあるがゆえに、イスワリストたちは、ナニがナンでもソコに居座り続けるのである。

 たぶん、Aくんも私も、おそらくソコに、蜜を、蜜の味を、感じないし、そんなモノを動力源にしようとも思わない。(つづく)