はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と三十一
「コジン ト ソシキ ト」
言わずもがな、悪事を働くことは許されないが、人は、一人の人として、個人として、それぞれが「私」らしく生きる、生きられる。はずなのに、そんな当たり前のコトが、時として、極めて難しくなってしまうことがあったりするものだから、この国は、憲法に、「すべて国民は、個人として尊重される」と明記したのだろう、とAくん。オープニングから、ヘビー級の臭いがプンプンとする。
「そうなんだけれど」
ん?
「まず自助でやってくださいよ、などと、上から目線でエラそうに言ってくれたりするわりには、この国に限らず権力者というものは、個人、というワードを、あまり好まない、と、思うわけよ」、と、Aくん、更にソコに被せてくる。
おそらく、その場合の「まず自助でやってくださいよ」と「すべて国民は、個人として尊重される」とは、全くもって真逆に近い別次元のモノなのだろう。なんとなく、そんな気がする。
「そういえば、やたらと、家族家族、と、言ってますよね、この頃」、と私。
「言ってくるよね~。なんでもいいから組織の中の一員という意識を植え付けておきたいんじゃないの」
組織の中の一員という、意識を、か~。
「もちろん、家族は大切だとは思うけれど、その家族が、いいように利用されている、という訝(イブカ)りが、僕にはある」
いいように利用されている、か~。
大いなる権力を握るピーポーたちが、家族家族と、そこまで執着するからには、それなりの理由があるのだろう。Aくんのその訝り、スルリと共有できそうだ。
「度を越した、組織の一員としての自覚が、全体を、大きな過ちに突き進ませる、ということもあるわけだからな」
思いっ切りヘビー級のオープニングで幕が上がったこのテーマであったが、Aくんが訝る、その、個人と組織との関係性の中に潜む危うさが、ウッスラながら見えてきたような気がする。
「個人が軽んじられているうちに、個人が故人に、組織が葬式に、なってしまうかもな、ということだ」
個人と組織、からの、故人と葬式、か~。
あのZさんに、またまた、「ダジャレは前頭葉の老化ですよ」などとツッコミを入れられてしまいそうだけれど、妙にシックリと腑に落ちる。
組織に個人が葬り去られる。
あってはいけないことだが、充分にあり得る。(つづく)
追記
あけまして、おめでとうございます。
ボンヤリと過ごしたい、という強い思いがあるものの、ボンヤリとしていたらトンでもないコトになるのでは、という強い思いもまた、あったりする。実に困ったコトである。