ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.657

はしご酒(Aくんのアトリエ) その九十八

「エイ ト ボン ト グ ト」①

 英知と気概と覚悟を育むことこそが学校教育が目指すべき基本理念、と、信じて疑わないAくんと私なのだけれど、同時にAくんは、その、豪華理念トリオの一角にある「英知」の意味の履き違え易さ、にも、言及している。

 英知の意味の履き違え易さ?、とは、いったい・・・。

 しばしの間、私なりに考えてみる。

 英知、英なる知。

 英国、英語、(余談だが、私の兄の名前にも、「英」の文字が一字、付いていたりするけれど、それも含めて)は、少し横に置いておくことにして、英雄やら英傑やら英才やら、と、おそらく、それなりの意味をもつ「英」なのだろうな、ということぐらいはナンとなくわかる。個人的には、どちらかというと、より深みとパワーを秘めていそうな、あの比叡山の「叡」という漢字を使いたいところなのだけれど。ま、コレもまた、少し横に置いておくことにしよう。

 どちらにせよ、当然のごとく「英知」も「叡知」も、そんじょそこいらの「知」ではなさそうだ。

 そんな英知の意味を、どう履き違えるというのか。私には、いささかも理解できそうにない。

 そんなアレやコレやを考えたりしているうちに、英知の「英」の真逆の漢字ってナンだろう、と、ふと、気になり始める。

 「英知の英、の、真逆の漢字、って、ナンだと思いますか」、と、Aくんに尋ねてみると、あまりに想定外の高速さで返事がコチラまで飛んできたものだから、慌ててしまう。

 「平凡の、凡、だな」

 「ぼ、ぼ、凡、ですか」

 そのスピードのみならず、中身までもが想定外で、戸惑いもする。

 「どんな知であろうとも、とにかく、知、は、疑いも紛れもなくソコにあるわけだろ。少なくとも、無、知、無知ではない」

 なるほど。

 たしかに、無、知、無知ではないような気はする。しかし、なんとなく、その、凡、知、凡知がもつイメージよりも、もっと罪深いイメージが、英知の真逆にはあるような気がしてならないのである。

 とりあえず、一旦、唇を軽く酒で湿らせてから、その思いをAくんにぶつけてみる。(つづく)