ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.648

はしご酒(Aくんのアトリエ) その八十九

「デンドク ト ベンドク」

 「本、とか、読んだりするかい」、とAくん。

 「読書、ですか。しますよ、電内読書」、と私。

 「でんない、読書?」

 「通勤電車の中での読書です」

 「あ~、車内読書ね」

 「仕事中に、社内でコッソリと読書、みたいに思われてしまうと心外なので、あえて、電内読書と言うようにしています」

 「なるほど~、でんない、ね。かまわないかまわない、の意味のどこかの方言の、だんないだんない、と、どことなく似ていて、なんかイイよね。かまわないよ、読書してくれて、おおいにやってよ、だんないだんない、って感じで」

 腰も痛いし息苦しいし、ということもあって、どうしても苦手な満員電車を避けるために、私は、毎朝、バカみたいに早く起きている。さすがに焙煎とまではいかないが、カリカリとコーヒー豆をミルして、グビリといただく早朝の一杯は、至福のひとときをもたらしてくれている。そして、気持ちいいぐらいガラガラの通勤電車での電内読書もまた、精神衛生上、極めて有意義なものと相成っているのである。

 するとAくん、「となると、さしずめ、僕の場合は、便内読書、だな」、と。

 「べんない読書、ですか」

 「ひとり静かにもの思いに耽(フケ)りながら、トイレで本を読む」

 「あ~、その便の、便内読書、ですね」

 「そう。いいんだよ、コレが」

 なんとなくわかるような気がする。

 「でも、あまり長い時間となると、ちょっと抵抗はありますね」

 「ソコなんだよな~。で、オススメの一冊がある」、と、先ほどの写真集のホン近くから一冊の文庫本を取り出す。

 「学生だった頃、友人がソフトボールの試合があると言うものだから、一度だけ応援に行ったことがあるんだよね。そのときの相手チームで一際目立っていたのが、南伸坊さんだったわけ。それだけのことなんだけれど、その時からなんとなく親近感が湧いて、それから、彼の本を読むようになって、今では、そのうちの何冊かは、便内読書用愛読書とさせてもらっている」、と、言いつつ、スルリとその本を、コチラまで滑らせる。

 「一便一編にピッタリの一冊」

 一便一編、か~。

 それにしても一便一編とは、随分と上手く言ったものだな、などと感心しながら、Aくんオススメのその一冊、『おじいさんになったね』、に、ササッと目を通してみる。

 どうあがいても誰しもに、必ずや来(キタ)るべくして来(キタ)る、その容赦なき老人化をテーマに、軽やかにコミカルに綴った珠玉の短編エッセイ集、理屈抜きに面白い。

 「トイレは短くササッと、って言われているだろ。だから、ちょうどいいわけ」

 『おじいさんになったね』、か~。

 そんなこの私も、遥か彼方のずっと先を歩いていると思っていた「おじいさん」の背中が、肉眼でもかなりシャープに確認できるようになってきつつある。

 悲しいかな、などと、言ってはいけないのだろうけれど、あえて、悲しいかな、もう、おじいさんの背中に手が届くのに、それほど多くの時間を必要とはしない。でも、だからこそのAくんオススメの、『おじいさんになったね』、なのだろうな。(つづく)