ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.432

はしご酒(4軒目) その百と七十三

「ムネン!」③

 「顔中に、期待大、って、書いてあるぞ」

 「えっ」

 おもわず、そのあたりに、自分の顔を映し見ることができる鏡かナニかがないかと、一応、グルリと探してはみる。

 「とりあえず、その、期待大、は、奥のほうに仕舞っておいてもらうことにして、僕は・・・、無念は、晴らすことなどできない、と、思っている」

 「えっ」

 期待大、を、仕舞い損ねたからなのだろうか、待望の「ムネン!」論の、その幕開けから、ズドンと驚いてしまう。

 「で、できないのですか」

 「できないな、できない。というか、無念は、晴らすものじゃない、と、思っている」

 「えっ」

 「晴らすものではないものを、晴らすことはできない、ということだ」

 禅問答のような様相を呈してきたものだから、一気にワケがわからなくなる。それでも、どうにか気持ちの立て直しを図りつつ、もう一押し、攻め込んでみようと試みる。

 「それでは、いつまでも無念の塊は、鳩尾(ミゾオチ)の奥深くで、ズシリと重く、のしかかったままじゃないですか。耐え切れなくなるのではないですか、押し潰されてはしまいませんか」、と、畳み掛けるように、思いの丈(タケ)をぶつけてみる。

 「旨いよ、これ」

 「えっ」

 Aくんの指の先に目をやれば、淡い花たちがポッポッポッポッと咲く小振りの皿の中央に、小さくこんもりと、品よく盛られた海月の酢の物がある。

 体(テイ)のいいはぐらかしだな、と訝(イブカ)しみつつも、ひとつまみ、いただく。

 そのコリコリとした歯応えと同時に、爽やかでいて深みのある、酢の香りと酸味とが、口一杯に広がる。

 想像以上の美味しさに、「このお酢、海月と、いい感じですね」、と、女将さんに告げたあとの、「滋賀県の、昔ながらの製法でつくられているお酢で、いま、ちょっと、お気に入りなんですよ」、と、返された言葉の、その、あまりの和(ニコ)やかさに、はぐらかされてもいいか~、と、すっかり腰砕けの私。

 するとAくん、そんな、戦闘意欲が消え失せかけた私に、中途半端なまま、そのまま幕を下ろそうとしていた「ムネン!」論の、そのつづきを、ユルリと語り始めたのである。(つづく)