ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.394

はしご酒(4軒目) その四十五

「ゼントタナン ココロ ノ ジュギョウ」③

 グビリと呑み干したぐい呑みをカウンターの上にトンと置いたAくんは、その、立ちはだかる最大のネックについて、クレッシェンドに語り始める。

 「そんじょそこらのシモジモじゃないエライ人たちが、先人たちが、どうにか到達した境地を、軽んじるようになったあたりから、そのヤヤこしさがブクブクと膨らんできたと思うんだよな」

 「先人たちが到達した境地を軽んじる?、とは、どういう意味ですか」

 「つまり・・・、やれ、偏(カタヨ)っているのでは、とか、やれ、宗教色が強すぎるんじゃないの、とか、やれ、それは洗脳だろ、とか、そういった悲しいほど悪意に満ちた、後ろ向きのアレやコレやによって、スーパー先人たちの出番がなくなってしまった、ということだな」

 真理に、正義に、偏りも宗教も洗脳もなかろう、と、思うのだけれど、世間は、そのあたりには、想像以上に保守的だということなのだろうか。

 個人的には、一年ぐらいかけて、子どもたちとともに、たとえば、Aくんイチオシの、あの、般若心経を極める、みたいな、そんな授業が一コマぐらいあってもいいんじゃないか、と、思ったりもするぐらいだから、Aくんのその失意、痛いぐらい理解はできる。

 ソンなコンなで、結局、ナンやカンやと突っ込まれ、アレやコレやと削り取られたりする中で、スッカリ腑抜けにされた人畜無害の「道徳」が、この世に誕生したのだろうな、などと、妙な納得をしてしまう私なのである。(つづく)