ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.568

はしご酒(Aくんのアトリエ) その九

「サイアクヲ ソウテイシナイママ ツキススムンジャー」②

 「シモジモである一般ピーポーならば、それでもいいんだ。いや、それでいい。どころか、そのほうがいい。とさえ思っている。悲観的であり過ぎることの危険性、つまち、場合によっては、その大切な命さえも放り投げてしまう危うさのようなモノ、だって、孕(ハラ)んでいるかもしれないわけだからな。でも、でもね」、とAくん。

 全くもって同感である。

 にもかかわらず、なぜ、「でも、でもね」なのか。その「でも、でもね」の向こう側にナニが控えているのか。さらに一層、私は、グググググッと身構えてしまう。

 「そう遠くない未来、最悪の事態が起こる可能性はある。そんなコトはわかっている。それでも突き進まなければならないほどの窮地なんだよ、この今は。ということにしよう」

 身構えすぎて、筋肉痛にでもなってしまいそうだ。ソレぐらいイヤというほど身構える。

 「窮地だから、突き進まなければならない、というその時、シモジモじゃないエライ人たちは、わかったからもういいよ、と、皆からそう言ってもらえるその時まで、皆に向けて、話して話して話しまくらなければならない、と、僕は思っている」

 「読む人じゃダメだ、ってことですね」

 「読む人?、・・・。百歩譲って、自分自身で書いたものであるなら、読んで読んで読みまくればいいかな、とは思うけれど、・・・いや、やっぱり、読むのではなく、自分の口で、自分の言葉で、熱く話して、話しまくってほしい」

 なるほど、と、そう思った途端に、バカみたいに入りすぎていた全身の力がスルリと抜けて、もう筋肉痛の心配はなさそうだ。

 「窮地だから突き進まなければならないのならば尚のこと、突き進むその前に、想定される最悪は、全て、包み隠さず、洗いざらい、事前に、丁寧に、説明し尽くさなければならない。このことは、シモジモじゃない、権力を握るエライ人たちの責務だと、言い切っていい」

 その通りだと思う。

 あの「読む人」たちに対する、私の不満や不信感は、そうした責務を果たそうとしない、その、怠慢とも放棄とも取れる姿勢から、おそらく漂ってくるモノなのだろう。

 でも、身体の奥不深くで燻(クスブ)ったままの真(マコト)の心や純粋な愛を目覚めさせさえすれば、たとえ、仮に、そんな、基礎工事にヌカリがあったかもしれないウルトラ能天気なスーパーダークヒーロー、「サイアクヲソウテイシナイママツキススムンジャー」たちであったとしても、必ずや、「サイアクヲ、ソウテイシテ、ハナシテ、ハナシテ、ハナシマクルンジャー」に、間違いなくなれるはずだ、と、信じたい。(つづく)