ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.329

はしご酒(4軒目) その八十

「キュウセイシュ キレイゴトデハスマナイ デハ スマナイ コウリン!」①

 この星のそこかしこで、若い世代が、自分の熱き思いを語り始め、訴え始めた、と、耳にして、大袈裟かもしれないけれど、新しい時代への古くて重い扉が、ようやく、少しとはいえ開かれたような気がして、僕は、ホントに嬉しいわけよ、とAくん。

 歪んだ冷静さで、短絡的に考えてみたりしたとき、そんなことしたって、なんのメリットもないじゃないか、場合によっては、デメリットさえあったりするじゃないか、と、どうしてもなりがちなのにもかかわらず、たしかに、力強い地鳴りのようなエナジーが、ティーンエイジな若者たちの中からグワングワンと感じられるようになってきつつあることには、上から目線でもなんでもなく、純粋に、ピカピカッとした希望の光を感じる。

 ただ、そうした熱き若者たちの思いに、シモジモじゃないエライ、歪んだ大人たちが歪んだ冷静さで対応する、その場面を、幾度となく、そこかしこで目にしたりすることがあったりするものだから、とかくこの世は、実に厄介なのである。

 そんな「厄介」さの中で、とくに屈指と思われる「厄介」が、コレ、かもしれない。

 「世の中は、そんなキレイゴトでは済まないんだよ」

 ほ~、よくもまあ、いとも簡単に、悪びれることもなく、未来ある若者たちに、そのような情けない「社会悪も必要なんだよ」理論をぶちまけることができたものだな、と、さすがに、目一杯、呆れ果ててしまう。(つづく)