ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.333

はしご酒(4軒目) その八十四

「ムシカエス!」

 蒸し返す、という言葉がある。

 あの「遡(サカノボ)る」の親戚筋にあたるわりには、この「蒸し返す」、なかなかな厄介系の曲者(クセモノ)であるようだ。

 「検証は、民主主義の基本。遡り、検証する、ということを拒むことは、民主主義に対する冒涜(ボウトク)と言っていい」、と、気になるナニかを突然思い出したかのように、少々手厳しく、語り始めるAくん。

 いくら、万全を期するなどと言ったところで、所詮、人が行う万全程度では、起こってしまっては困ることも、残念ながら、実際には、どうしても起こってしまうのである。そんな起こってしまったことに、単に感情的に苛立って、「どうなっているんだ」、「どうしてくれるんだ」、だけでは、申し訳ないが、到底、建設的とは言えない。せめて、そんなときには、少し間をおいて、できる限りの(歪んでいない)冷静さで遡り、その不幸にも起こってしまったことの一つ一つを、最大級の丁寧さで検証し、同じ過ちを繰り返さないように全力を尽くすことが、大切であると、私も思う。

 「その民主主義の基本だという、検証する、というそのことの、その最も大きな意義って、なんだと思いますか」、と、Aくんに尋ねてみる。

 「そこから、明日に向けてナニを学ぶか、学べるか、に、尽きると思う。その、学ぶ、ということを放棄する姿勢が、そこかしこで垣間見られたりするものだから、愕然となってしまったりするわけだ」

 なるほど。Aくんのその手厳しさの、その理由が、少し見えてきたかもしれない。

 そして、こう締めくくるAくん。

 「ほとんどのシモジモじゃないエライ権力者たちは、遡る、を、蒸し返す、としか、思えないのではないだろうか、という気がしてならない」

 そんな過ぎ去ったことを、アレコレと、チマチマと、蒸し返しやがって、としか思えない、そんなシモジモじゃないエライ権力者たちが、仮に、この国で、この星で、リーダーシップを発揮しているとするならば、などと思うだけで、気持ちが、ズブズブと泥の沼の中に沈んでいきそうになる。(つづく)