ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.638

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七十九

「デバガメシンドローム!」②

 「覗き見趣味みたいなものの総称として、たしか、デバガメ、って言っていたような」

 「そうそうそうそう、それだよ、それ」

 ほんの少しだけスッキリしたような気はするけれど、でも、いま、ナゼにココで突然の、デバガメ登場とあい成るのか、の、その、ナゾの塊は、まだまだソコに、デンとナゾのまま、ある。

 「で、その、デバガメ、覗き見趣味、が、ナニか?」

 だんだんと、少し「いけず」(意地悪)なもの言いになりかけていた私は、わずかに酒器に残っていた酒をグビッと呑み干したあと、フ~ッと息を吐く。

 するとAくん、「池田亀太郎は、トンでもないA級デバガメなんだけれど、ソコまではいかないまでも、B級、いや、C級程度のデバガメなら、とくにネット上あたりで、グチュグチュと増殖傾向にあるように、思わないかい」、と。

 なるほど、そういうことか。ようやく、ナゾの塊が溶け始める。

 その人のことが気になる。その人のプライバシーが気になって気になって仕方がない。覗き見したからといってナニもないだろうに、なんとなく、あるいは、無性に、覗き見したくなる。そして、一旦、覗き見してしまうと、なんとなく、あるいは、無性に、ひとこと言わせてもらいたくなる。

 言うならば、まさに、デバガメシンドローム。たしかにコイツは、かなり厄介だ。 

 「ま、ナンでもカンでも無関心、というのも、如何なものかとは思うけれど。でもな~、ナンでもカンでも覗き見て、ひとこと言わないと気が済まない、というのもまた、如何なものかと思うわけよ、僕は」

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.637

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七十八

「デバガメシンドローム!」①

 その、覗き見、で、今、ある男の名前が頭の中を過(ヨギ)ったのだ、と、前置きした上で、Aくん、池田亀太郎という人物をご存じか、と尋ねてくる。

 直ちに私の脳内ファイルを、自分としては最大級のスピードで、シラミ潰しに調べてみる。

 池田亀太郎

 池田亀太郎

 池田亀太郎

 ・・・

 全くもってヒットしない。

 「ナニ者なのですか、その池田亀太郎って」、と私。

 するとAくん、シメシメともヤレヤレともまた違う表情を浮かべながら、「池田亀太郎、当代きっての覗き魔、痴漢、変質者」、と。

 「その、当代きっての変質者がどうかしたのですか」

 まるで読めない。はたして、Aくんは、池田亀太郎なる変質者の話題を、なぜ、いまココでもち出してきたのだろう。

 「この男のあだ名が、デバガメ」

 「デ、デバガメ、ですか」

 「そう、デバガメ」

 ん?、デバガメ?

 どこかで聞いたことがあるような気もする。

 「昔ほどではないものの、今でも、比喩的に、使われたりしていると思うんだがな~」

 そ、そうだ、デバガメ!

 あの、デバガメだ。

 間違いない。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.636

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七十七

「カンコゥ カンコゥ ナ イ テ ル~」

 以前から、「観光」という言葉に、ピンとこない、というか、解(ゲ)せない、というか、とにかく、違和感も抵抗もある。

 そもそも、観光、って、ナンだ。

 観光立国、って、いったい、ナンなのだ。

 そんな思いを払拭できないまま、観光地なるものに目を向ければ、露骨なまでにインバウンド狙いの店舗、施設、そして、オキテ破りの陳腐な開発もどき、と、ソコには、私ごときの頭では、到底、理解などできそうにないナゾが渦巻いている。

 観光立国のその意味が、インバウンド立国ということであるのならば、悪いことは言わない、できる限り早い内に、そんなものは返上したほうがいい、とさえ思っている。

 そんな私の胸の内を、Aくんに負けないぐらいの唐突さで、ストレートにぶつけてみる。

 「観光って、ナンだと思いますか」

 「観光ね~、・・・、最低限の礼節をわきまえた上での文化の覗き見、かな」 

 「礼節をわきまえた上での、文化の覗き見、ですか」

 「そう。道徳観も倫理観も、その国の文化だからな。最低限の礼節さえもわきまえない下品な覗き見は、やはり許されないだろ」

 訪れる側の心構えとしては、的を得ているように思える。しかし、招く側としては、どうだろう。

 「そのもう一方の、覗き見される側として、ココだけは譲れない、みたいなことって、ないですか」

 「覗き見される側かい?」

 「はい、覗き見される側の心構えです」 

 「そうだな~、・・・、本来ソコにあるものを、軽々しく弄(イジ)ったりしない、かな」

 「軽々しく弄らない、ですか」

 「そう、弄らない。本来ソコにあるものを求めて、人はやってくるわけだろ。その、本来ソコにあるものを、たとえば、インバウンド目当てに弄るなどということは、本末転倒もイイところ。守るべき文化は守らなければならない、ということだ」

 なるほど、おっしゃる通りだ。

 するとAくん、またまた突然、声高らかに歌い出す。

 

 カンコゥッ カンコゥッ

 しずかに~

 ないてる~よ もりのな~か

 ホ~ラ ホ~ラ あさだよ~

 カンコゥッ

 

 「もちろん、さんずいへん、の、泣く、ね」

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.635

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七十六

「べラボ~ブラボ~コラボ~」③

 「ナントカ山にナントカさんの作品があるから行ってみるといい、って言うわけよ。ある、いい感じの若い、といっても四十そこそこぐらいかな、の、作家さんが」、とAくん。

 「で、見に行かれたのですか」

 「行った、行った、山道を歩いて行ったよ」

 「で、どんな作品だったのですか」

 「ん~、パッと見は、難解そうな風情なんだけれど、規則正しくツミツミしていたり、ダイナミックにクルクルしていたり、と、その難解さを軽くポンと飛び越えてくれるような、そんな、実に面白い立体作品だったんだよな」

 ケータイで写真をパシャパシャと撮るようなAくんではないので、その言葉から想像するしかないのだけれど、どういうわけか、その作品が見えてくるような気がするから不思議だ。

 「ソコでミーティングをしているんだよ、年配のドイツ人男性と、作業服を着た地元の土木建築関連風のおじさんたちが。さすがにドイツ語で、というわけにはいかなかったみたいなんだけれど、片言の英語やら少し訛(ナマ)り気味の日本語やらで、やっているわけさ、山の上で、まだまだ未完成の作品の前で」

 ナンの下調べもせず、全くの偶然に、そうした地方のアートフェスティバルみたいなものに遭遇してしまうAくんの神がかり的な底力には、ホントに感服する。

 「話されたりしたのですか」

 「あ~、したした。若いときに一ヶ月ほどドイツを一人旅したことがあったからね・・・、得意の日本語で」

 どこかの新喜劇なら、ココでドテッとズッ転けないといけないところなのだろうけれど、とにかく、そのドイツ人のおじさんは、3ヶ月ほど前にこの町に入り、制作し続けてきたらしく、その間、地域の人たちとも数多の交流を行ってきた、と、日本語と英語とのクロスオーバーで、丁寧に説明してくれた、という。

 そしてAくんは、まさに確信を得たかのように瞳をピカピカッとさせながら、こう言い放つ。

 「これなんだよ、これ。べラボ~にブラボ~なコラボ~って、まさに、こういうことなんだ。単なる、観光客を呼び込むための一過性のアートフェスティバルなんじゃなくて、地域を思いっ切り巻き込んで、絡み合わせて、有機的にミキシングさせて、みたいな、そんな、いい意味でネバネバッとしたところ、から、生まれてくるものって、あるだろ、ある、あるんだよ」

 もう、Aくん独特の言い回しでホントにわかりにくいのだけれど、ある、間違いなくある、と、私も思う、思いたい。

 トンでもないヤツが、コトが、忍び寄ってきがちな、それぞれがもっている弱点を、補い合うどころか、ジワジワと高め合っていくような、そんな未来を感じさせてくれる、まだ見ぬその山あいの小さな町に・・・

 カンパイ!

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.634

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七十五

「べラボ~ブラボ~コラボ~」②  

 以前に、四国の山間部の、限りなく村っぽい、ある小さな町に行ったときのことだ、と、ユルリと、語り始めたAくん。

 たまたま、このところよく見かける、いわゆる「まちおこし」的なアートフェスティバルに遭遇した、という。

 ま、おそらく、あまり内容が伴わない、それなりのレベル程度の企画だろうとタカをくくっていると、ナニやらどうも様子が違う。

 まず、いかにも農作業帰り風の後期高齢者たちの存在感が際立っている。妙に活気があるのだ。しかも、アーティストと思われる人たちとの関係性が濃い。あちこちでトークを楽しんでいたりする。さらにソコに、渋谷赤坂六本木風のクリエイティブ系の、スーツなんて着ませんよ的な、ビジネスヤングマン&ウーマンたちもチラリホラリといたりするものだから、余計にその「様子が違う」感は増してきたりするわけだ。などと、懐かしむように、そして、楽しげに語り続けるAくん。

 先ほどの、Aくんの冒険アドベンチャー夢物語に、おもわぬ肩透かしを喰らったばかりなので、あまり期待を膨らましてはいけない、とは思うのだけれど、どうしても、懲りない私のワクワク感は、再びジワリと膨らみ始める。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.633

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七十四

「べラボ~ブラボ~コラボ~!」①

 「べラボ~にブラボ~なコラボ~ってのが、閉塞感を打破する救世主となり得る!、とは思わないかい」、とAくん。

 もう、親父ギャグはいいから、と、心の中で叫ぶ、私。

 でも、そう叫びつつも、その、ブラボ~なコラボ~、というところには、ナニやらたしかに共感できるものはある。

 「そのコラボ~~って、コラボレーションのことですよね」

 「そう、そのコラボ~。それぞれが単独で頑張っても、それぞれがもつその弱点を払拭することはできないだろ。だからこそのコラボ~、それゆえのブラボ~なコラボ~、が、きっと、そうした弱点を補い合える救世主になり得るはず、という、そういう意味だ」、と、語るAくんから、単なる親父ギャグじゃないんだという熱い思いは、たしかに感じ取れる。

 さらにAくん、「この世に数多いる、ある、いかなるタイプのトンでもないヤツも、コトも、それぞれがもつ弱点を、見事なまでに突いてくる」、と。

 「弱点を突いてくる、というその感じ、わかるような気がします」

 どうしても是正できない、そんな、どうすることもできない丸見えの弱点だけではなく、なんとなく上手くいっているから、見えづらくなっている、見ようともしなくなっている、そんな、そんな、とりあえず捨て置かれた、気付かれにくい弱点の臭いまで嗅ぎ取って、トンでもないヤツが、コトが、ジワリジワリと忍び寄ってくる、という、そんな、そんな、そんな、イメージだ。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.632

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七十三

「バイリンガレ?」

 「ほら、あの、やたらと大阪弁の彼」、と、またまたOくんについて語り始める、Aくん。

 Oくんがどうしたというのだろう。

 「彼、ああ見えて、帰国子女なんだよな」

 「えっ!、そうなんですか」

 「そう、イタリアはシチリアで、小学校を卒業する頃まで過ごしていたはず」

 「マ、マジですか」

 数時間前に、若ゴボウの炒め煮と、私のシチリアでの食の思い出とをアテにして、奈良の地酒をチビチビとやりつつ、べラボ~ってイタリア語でおまっか?、などと宣っていたOくんと、シチリア帰りの帰国子女とが、全くもって繋がらない。

 「その彼が、梅の花でも愛(メ)でようか、と、以前にはよく行っていた梅林に、久しぶりに出向いたときのその話が、なんとも恐ろしくて」

 ナニやら怪しい展開である。

 「またまた、妖怪出没、ですか」

 「そうじゃない、と、言いたいところだけれど、妖怪の仕業だな、おそらく」

 「なんと」

 この世の中、つくづく妖怪まみれなのだな、と、あらためて思う。

 「その、妖怪が、ナニをしでかしたのですか」

 「彼が、十数年ぶりに赴いたその梅林が、トンでもないことに」

 「なっていたのですか」

 「そう。5000本近くあった梅の木々のほとんどが、枯れてしまっていたらしい」

 妖怪が、その梅林の木々にナニやら呪いでもかけた、とでもいうのだろうか。たしかに、ナニやら恐ろしいものを感じる。

 「周囲の開発やらナンやらによる環境の変化が原因か、と、考えられているらしいんだけれど、その裏で、あの手この手で人やらナニやらを操っていたのが、その妖怪であるに違いない、と、彼が言うわけよ」

 Oくんらしい突飛な推理だが、まんざら的外れとも思えない。今までソコに普通にあったものが、謎のベールに包まれたまま、突然、消えてなくなってしまった、などということは、それほど珍しいことではないように思えるからである。悲しいかな、ダークな妖怪たちが棲みやすい、そんな国であり、そんな時代だということなのかもしれない。

 「でもね、それでも地元の有志たちの力で、少しずつながらも一歩一歩、元の姿を取り戻しつつある、らしくて、まだまだ時間はかかりそうやけど、ちょっと安心しましたわ~、って言っていたよ、彼」

 そうか~、なるほどいい話だ。

 諦めずに、地道にコツコツと頑張っている人たちって、ホントに、ホントに頑張っておられるから。

 するとAくん、よせばいいのに、トドメの一発をトドメておけずにカマしてしまう。

 「バイリンガルの彼、だけに、バイリンカレ、バイリンガレ、梅林枯れ、なんてね・・・、おアトがよろしいようで」

 せっかくいい話だったのに。ダメだ、恐れを知らないAくんの、B級親父ギャグが止まらない。(つづく)