はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と五十五
費用対効果。
時間対効果。
この「対効果」ってヤツが、なかなかどうして、結構、曲者(クセモノ)なのである。
そういえば、ドコまでもアナログなAくんが、そういった「対効果」にグルグル巻きにされたピーポーたちのその心の闇を、「コスパ、タイパ、シンドローム」と呼んでいた。
たとえば、過重労働を、トンでもないブラック労働を、是正するための、コスパ(cost performance )、タイパ(cost performance )であるのなら、まだ理解はできる。大事なコトだとも思う。だが、しかし、ナンでもカンでも、とにかく、コスパが、タイパが、良くなければ、全くもって意味がない。その無駄に堪えられない。では、やはり、コスパもタイパも結構な曲者だと言わざるを得ない。つまり、融通の利かない、ある意味病的な、効率至上主義者に他ならないというわけだ。
そう、カッチンコッチンの、効率、至上主義者。
当然のごとく、効率しか考えられないその先に、達成感も充実感も、真の喜びも、到底、あるとは思えない。
ある、デジタルなゲーム製作に携わってきたベテランの、ある呟きが、私の耳に、心地よく、へばり付いたままだ。
「フロンティアが成熟する時って、意外と泥臭いことをやっている」
泥臭い、か~。
残念ながら、コスパもタイパも良くはないかもしれないが、そんな泥臭い取り組みのその先にこそ、達成感やら充実感やら、真の喜びやらが、あるように思えてならないのである。(つづく)