ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1179

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と十

「ナゲクオヤ ガ イナクナルコトヲ ネガッテイマス」

 妙な勘違いをされては困るとでも思ったのか、「家族」やら「親子」やらといったものに、偏った政治的な、歪んだ宗教的な、そんな怪しげなモノを絡ませるつもりは毛頭ない、と、前置きした上で、Aくん、おそらく、テレビのドキュメンタリー番組かナニかで見たのだろう、ある母親のコトをユルリと語り始めたのである。

 「『敵』によって、最愛の息子の命が奪われてしまった、ある国の、ある母親の、ある言葉が忘れられないんだよな~」

 敵?

 母親?

 言葉?

 「その『敵』。国、というよりは、むしろ、テロリストと言うべきだろうな。罪なき民たちを牛耳ているテロリスト。そのテロリストが、隣国を攻撃。それゆえの悲劇だ」

 罪なき民たちを牛耳る、テロリスト?

 隣国を攻撃?

 その時、息子さんが亡くなったのか。

 「しかも、その悲劇は新たなるトンでもない悲劇を生む」

 ん?  

 「罪なき民たちが、その隣国から無差別攻撃を受ける」

 あっ、あ~。

 「そのテロリストを根こそぎ抹殺するために」

 あのコトだ。

 まさに、憎しみ、怒り、復讐心、に、魂を乗っ取られてしまったがゆえの「報復」。その報復が、容赦なく、罪なきシモジモのピーポーたちに降り注ぐ。そうした悲惨な現状を、テレビ画面を通して、このところズッと目にし続けている。多くの人が心を痛めているはずだ。

 「当然のごとく、その母親も、憎しみ、怒り、復讐心、の、沼に、沈んでいく」

 当たり前だ。その気持ち、痛いほど、わかる。 

 「しかし、しかしだ。その息子さんの仲間からの言葉で、その母親は、そうした憎しみの呪縛から解放されることになる」

 「憎しみの呪縛からの、解放、ですか」

 「そう。その息子さんは、敵味方など関係なく、会話の、理解し合うことの、その大切さを、生前、ズッと、訴え続けていたらしい」

 理解し合うことの、大切さ、か~。

 「もちろん、容易なコトではない。憎しみは、怒りは、復讐心は、更なる憎しみ、怒り、復讐心を生み、暴力によって、更なる多くの命が奪われる。そして、暴力は、新たなテロリストを生み落とす。ズッとその繰り返しだ。つまり、そんな簡単には呪縛から、解放なんてされないということだ」

 そりゃそうだ。解放なんてされない。されるわけがない。

 「でもね、その母親は、息子のその魂を、意志を、遺志を、継ぐ」

 ん~。

 「そうそうできることじゃ、ない」

 たしかに、できることではない。

 「私が、その母親の立場だったら、きっと、いとも簡単に魂を乗っ取られてしまう。憎しみの、復讐の、呪縛を、絶対に解き放てない」

 「君に限らず、誰だって、そんなコトできやしない。できるわけがない。だから、この星は、人類は、終わることのない争いを、バカみたいに続けているんだ。でも、その母親は、解き放った。素晴らしいよ。いや、『素晴らしい』なんて言葉では不充分だな。そんな安っぽい言葉じゃ、到底、言い表せない」

 「でも、やっぱり、素晴らしい。素晴らしいです。その言葉しか見当たりません」

 「そうだな、その通りだ。その言葉しか見当たらない。そして、彼女は、こう締め括(クク)る」

 ん?

 「敵も味方も関係なく、嘆く親がいなくなることを祈っています、とね」

(つづく)