はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と五十一
「ガ ガイライシュ!?」
いつだったか。
急ぎの用事があって、大慌てで玄関を飛び出したその時だ。
ん?
なんだ?
足元に、あるイタリアの高級ブランドのような色合いの虫が一匹。
黒いボディに赤い首巻き。美しい。
と、細(ササ)やかなる感動に浸っていたら、後日、その美しい虫がトンでもなく厄介な外来種であったことをニュースで知る。
が、外来種!?
外来種。
よそ者。
侵略者。
圧倒的強者。
ソレらが私が抱いている外来種に対するイメージであるだけに、余計、驚いてしまう。
とくに、ソイツは、というか、ソイツの幼虫は、サクラの、ソメイヨシノの、その木の樹液が大好物だというから、更に、マジ、厄介なのである。
いつの日か、「おじいちゃんが若かった頃、この川の土手にはな~、何百本ものサクラの木が植わっていて、春になれば満開に咲き誇っていたものじゃ~」などと孫に曾(ヒ)孫に思い出話を語ってやらなければならない時がやって来るかもしれない。
外来種、恐るべし。
ただし、この外来種のイメージを、そのまま、「人間」に当てはめてしまおうとすることには賛同しかねる。と、いうか、ソレ、全くもっていただけない。
たとえば、ヤタラと「グローバルだ、グローバルだ」とエラそうに宣うわりには、未だに、差別やら偏見やら蔑(サゲス)みやらにドップリと浸かり切ったものの考え方から抜け出せないでいるピーポーたちを、時折、見掛けたりするものだから、心底、情けなくなる。
コレもまた、いわゆる、島国根性というヤツなのか。
自分たちにとってのみ都合のいい「グローバル」なんてものは、けっして、グローバルでもナンでもないんだ、と、いうコトを、もうそろそろ、いい加減、気付かなければならない。
もちろん、この国に限ったことではないと思う。ドコもカシコも自国ファーストの花盛りだ。しかし、ソレでも、やっぱり、気付かなければならないのである。
にもかかわらず、そんなコトさえも気付けない、気付こうともしないのなら、もう、未来永劫(エイゴウ)、鎖国でもしていた方が、この星のためにも、この星のピーポーたちのためにも、ウンといい。(つづく)