ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1159

はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と九十

「ケンポウ ノ ゼンブン ニ カカレタ リネン ヲ フミニジル ギロン ジタイガ ケンポウイハンダロ」

 「憲法尊重擁護義務」

 ん?

 トンでもなく重量級の八文字熟語。

 「そもそも政府による暴挙を抑え込むためにある憲法を、その政府自身が先頭を切って『この憲法、面倒くせえんだよな~』と改憲を企てるコト自体が、ドコからドウ見てもドウ考えても憲法違反だろ。と、まず、一般常識のあるピーポーなら、普通、思うはず。で、あるにもかかわらず、あの人たちは、たとえば、あの、魂の前文なんて、その理念なんて、『ケッ』てなものなわけ」、とAくん。こと憲法のコトとなると、その憤り、他の追随を許さないほど爆発的にヒートアップする。もちろん、その気持ち、イヤというほど理解できる。

 あらためて、もう一度、あらゆる邪念を捨てて、その、魂の前文を、ユルリと、ジックリと、一文字一文字を噛み締めて読んでみるがいい。さすれば、きっと、軽はずみに、そうした肝心要の理念までもを踏みにじるような議論に手を付けたり染めたりするものではない、ということがわかるはずだ。

 学校教育においても、バカみたいに縄文やら弥生やらに時間をかけるのではなく、バカみたいにナン年にナニが、みたいコトばかりを丸暗記させるのではなく、人類と戦争、人類と核、さらには、人類と差別、人類の権利、そして、人類と温暖化、までもを、誰にでもわかるように噛み砕いて、歴史の中から学び取れるような授業を展開していってもらいたいと、切に思う。そのためにも、学校から雑務という雑務を全て、無くす必要がある。Aくんから聞いただけでも、子どもたちに関係のない、ドウでもいいようなその雑務、あまりにも多すぎるように思えてならないからだ。

 などと、スルスルと、私の頭の中でスルスルと、憲法前文から学校の雑務撤廃へと話の内容がズレていってしまっていると、Aくん、力尽くで元の「憲法の魂の前文」論に引き戻して、トドメを刺す。

 「憲法の前文。奇跡の前文。トンでもないほど数多くの悲劇的な、悲痛の、そんな犠牲があったからこそ、今、ソコにある、その魂の前文に、最大限の敬意を払い、意地でも真っ当な道を歩んでいこうと決意するコトは、我々の義務。だと、僕は、声を大にして、言いたいわけよ」

(つづく)