ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.872

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と三

「ザッツ スラップソショー!」

 「strategic lawsuit against public participation !」

 わっ、英語、か~。

 「頭文字を取って、エス、エル、エー、ピー、ピー、スラップ、スラップ訴訟ね」

 あっ、それなら聞いたことがある。

 「個人が社会的組織等へモノ申したコト、に、対する戦略的な訴訟」

 んっ?

 「つまり、巨大なモノが小さきモノを『名誉毀損だ~』などと吠えまくりつつ訴える、という感じかな」

 あっ、あ~、スラップ訴訟、思い出した。 

 「そういえば、時折、耳にしますよね。圧倒的に強い立場の組織やらナンやらが、個人を、法の力を借りて封じ込めにかかる」

 「そう、封じ込めにかかる」

 「訴えられた側の個人は、さすがにそう簡単には戦えませんよね」

 「まず、戦えない。圧倒的に巨大な力をもっているモノは、戦略的にメディアも世論も都合よく巻き込んで、個人を叩く、黙らせる」

 「圧倒的に巨大な力には、そう簡単には刃向かえない、ということですか」

 「そういうことだ。金銭的にも、精神的にも、そう易々とできることじゃない」

 な、なんという恐ろしいコトだ。

 「個人にもイロイロな個人がいたりするから一概には言えないのかもしれないが、でもやっぱり、スラップ訴訟は、オキテ破りの禁じ手訴訟だと、僕は思っている」

 オキテ破りの禁じ手訴訟、か~。

 「にもかかわらず、その、禁じ手訴訟に手を染めてしまったとしよう。仮に、仮にだ、もし、起こしてしまった側が敗訴した場合、その時には、それなりの、重量級の責任を取って頂く必要がある、とも、強く思っている」

 全くもって同感である。

 「ソレはダメだろ」と、勇気を絞り出して声を上げた個人が、圧倒的に強いモノによって訴訟を起こされたのだ。仮に、その、その声が、正しかったということになれば、当然のごとく、そのままでは済まされない、済ますべきではない、澄ましてはいけない、と、この私でさえ思う。

 ザッツ、スラップソショー。

 オキテ破りの禁じ手に手を染めた限りは、起承転結のその「結」まで、覚悟も責任も失うことなくビシッとやり遂げてもらわなければ、そして、真っ当な「ケジメ」を、「落とし前」を、ビシビシッとつけてくれなければ、その、無理くり幕を上げた禁断のショーも、ショーとして完結しない。(つづく)