はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と九十五
「オウジョウシマッセ~」
「往生際(オウジョウギワ)が悪い。って、ナンだと思う?」
「お、往生際が悪い、ですか」
「そう。往生際が悪い、とは、ナニか」
そんなコト、考えたこともない。どころか、ここ数年、その言葉を口にしたこともないような気がする。などと、思ったりしながらモタモタしていると、Aくん、すかさず、「じゃ、質問を変えよう」、と。
えっ。
「往生際が悪い、は、善、か、悪、か」
わっ。
更に難易度が増した、かも。それでも、ココはナンとしてでも答えなければ、と、苦肉の返答を試みる。
「まだ、往生すべき時ではない、というコトですよね」
「そうだな。まだ、現世を捨てている場合でも、極楽浄土に行こうとしている場合でもない、というコトなんだろう、おそらく」
「となると、往生際が悪いのもまた、私たちに課せられた『試練』の一つ、とは、考えられませんか。もう少し、やり続けてみろよ、良い結果が出るかも、みたいな」
「ほ~、試練ときましたか。つまり、つまり?」
「善、だと思います」
と、エラそうに宣ってはみたものの、ナンとも自信がない。なぜなら、そのもう一方に、「往生際が悪い」の中に漂う「自分本位の悪あがき」という臭いを、どうしても払拭できない私がいる、からである。
「善だと思います。善だとは思いますが、ただ」
「ん?、ただ?」
「自分本位の悪あがき、で、あっては、絶対にいけないと思うのです」
「自分本位の、悪あがき?」
「自分本位の悪あがき、は、試練ではない、と、思うからです」
「ということは、往生際が悪い、は、善、で、自分本位の悪あがき、は、悪、ということかい」
「そう言い切って、いいと思います」
モヤモヤしていたモノが、ほんの少し晴れたような気がする。
「つまり、つまりだ。ようするに、往生際のその『質』次第、ってことだな」
「しつ?、しつ、質。そう、そうです。質が良い往生際なら、往生際が悪くて結構、ということです」
更に、もう一皮、モヤモヤが、晴れたような気がした、ものの、それでもやっぱり、頭の中は、ゴチャゴチャッとヤヤこしいままだ。なぜなら、おそらく、往生際に立つ者のほとんどは、皆、自分が自分本位などとは微塵も思っていないだろうから。
それほど、「往生際が悪い」と「自分本位の悪あがき」との境界線は曖昧で、考えれば考えるほどその深みにはまってしまい、ドッと困り果てる、困り果てまくる。
すると、なぜか突然、大好きな上方の漫才師、大木こだま、の、あの名ゼリフ(名ギャグか)が、私の耳の奥の方からズンズンと、ジワリジワリと膨らみながら、やたらとリアルに聞こえてくる。
お~じょ~しまっせ~
お~じょ~しまっせ~
お~じょ~しまっせ~
(つづく)