ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.994

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と二十五

「テキ ノ テキ ハ ミカタ! ミカタ?」②

 知らないうちに、テーブルの上がキレイに片付けられている。

 ザックリとしたつくりの小振りのテーブルではあるものの、その、荒々しい木目やら、シミやらキズやらが、妙に美しく感じられて、あらためて、いいテーブルだな、と、思ったりする。

 そんなテーブルをボンヤリと眺めつつ、もう一度、「敵の敵は味方」とはナニか、を、あたかも、消化しにくい牧草を何度も咀嚼し反芻(ハンスウ)する牛のように、ジックリと、ジックリと、ジックリと考えてみる。

 ・・・

 敵の敵は味方

 敵の敵を味方に付ける。

 ナニゆえに味方に付けるのか。

 ナニゆえに味方に付くのか。

 味方に付けるとは。

 味方に付くとは。

 そもそも、敵の敵は、味方なのか。

 そもそも、味方とは、ナンだ。

 味方は、善人か。

 味方だから善人か。

 では、味方でなければ善人ではないのか。

 そもそも、善人は、味方などに付くのか。

 そもそも、善人は、そんなコトに興味があるのか。

 そもそも、善人とは、ナンだ。

 そもそも、そもそも・・・

 ・・・

 ダ、ダメだ。余計、コンガラがってくる。

 あゝ、こんな時、コンガラがりついでに、あの慈悲深い矜羯羅(コンガラ)童子が舞い降りてきてくれたらな~。などと思ってしまうその時点で、もう、ギブアップタイマーがピコピコと点滅し始めているということなのかもしれない。

 だって、あの、銀河連邦の使者であるウルトラマンでさえ、わずか3分でカラータイマーが点滅し始めるのである。私ごときが、時間をかけてジックリと論理的に、など、ドダイ無理な話なのだ。

 ・・・

 あっ。

 ああっ、あ~。

 スッカリ弱気になってしまった私ではあるけれど、あるコトにハタと気付く。

 そうだ、そうなのだ。

 心もち。

 そう、その心もち、その動機。

 この際、敵の敵が善の塊のような人であるとか、ないとか、なんて、全く関係ない。むしろ、問われるべきモノは、敵の敵を味方に付けようとする、その時の、その心もち、その動機なのである。

 どうにかこうにか、ようやく、それなりにスッキリすることができたような気がする。

 敵の敵は味方、という戦術が、邪道だと言われがちなのは、その心もち、動機が、あまりにも邪念にマミれまくっているがゆえ、なのだろう。

 そもそも、そもそもだ。善の塊のような人が、邪念にまみれた私などに歩み寄ろうと、関わろうと、するはずがないのである。私が、私という人間が、その人に見合うような人間でさえあれば、ごく自然に、良好な関係は生まれ、育まれていくに違いない。

 良好な関係などというモノは、本来、きっとそういうモノなのだ、と、ズンズンと、ズンズンと思えてくる。(つづく)