はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と八十三
「ゼッタイダイジョウブ ナ ミキリハッシャ」
「背に腹は代えられぬ、やら、致し方なし、やら、の、後押しのおかげで、とくに原発関連で、未だ、力をもっている言葉がある」
ん?
「ソレが、『絶対、大丈夫!』だ」
そう語るAくんのその顔には、不安と不満がタラタラだ。
「ドコからドウ見ても原発は、完全体じゃない」
完全体じゃ、ない?
「であるにもかかわらず、なぜ、そんな妄言を吐けるのか」
妄言、か~。
「たとえば、『廃棄』というその一点から見ただけでも、完全体じゃないことは明白だろ」
廃棄、か~。
たしかに、何十年も棚上げにされたままだ。
「背に腹は代えられぬ、と、致し方なし、の、後押しを得ての『見切り発車』だった、ということだな」
見切り発車、か~。
棚上げにされたままの廃棄の問題もそうなのだけれど、こんなに自然災害が多いのだ。しかも、嘆かわしいことだが、愚かなる権力者たちによって、戦争だって、何時何時(イツナンドキ)引き起こされるかもしれない。それなのに、「絶対、大丈夫!」などと宣えてしまうところに、私も、どうしても、なんだかトンでもなく能天気な恐ろしさを感じてしまう。
「背に腹は代えられぬ、と、致し方なし、とが抱える『リスク』に対する覚悟もナニもないまま見切り発車をしてしまったわけだからな~。ほら、減速したら爆発する、みたいな、ヤン・デ・ボン監督の映画、あっただろ。あれだよ、あれ、まさに、あれだ」
あ~。
たしか、やたらとキアヌ・リーブスがカッコよかった『スピード』、だったと思う。よく似たコンセプトで、邦画にも、あの高倉健が敵(カタキ)役で孤軍奮闘した『新幹線大爆破』という物騒なタイトルの一本があったはず。いったん動き出したら止まれない。止まったら「ボ~ン」。だから、走り続けるしかないのだ。というこの感じ、Aくんの指摘通り、ズンズンと、「見切り発車」が背負っているモノと酷似しているように思えてくる。
原発に限ったコトではないのだろうけれど、この、背に腹は代えられぬ、と、致し方なし、との、ダブル後押しによって、「見切り発車」してしまった、させられてしまった、そして、それゆえ、「絶対、大丈夫!」と言うしかなくなってしまった、その罪の深さに、大きさに、胃の辺りがヒリヒリと、ヒリヒリと痛くなってくるのである。(つづく)