はしご酒(2軒目) その四十二
「キョウフ ノ セニハラハカエラレヌルヌル」
いつのまにか、この世は、「背に腹はかえられぬ」時代に、突入してしまっているような、そんな気がしている。
この故事・ことわざ、ざっくりと説明すると、腹のために背を犠牲にすることもまたやむなし、となる。
「やむなし」は、致し方ない、つまり、他に選択肢がない、ということだ。
致し方ない、のだから、致し方ない、ではないか、と、納得するしかない、ように思えるが、なんとなく怪しい臭いがプシュンプシュンとしてくるから、とかくこの世は、ナゾがナゾ呼ぶナゾナゾワールドなのである。
この臭い、どのあたりから臭ってくるのか。
「背がかわいそうやな」、ボソリととOくん。「背は、腹の犠牲になることを納得してるのですかね」、とお兄さん。「納得なんかしてへんやろ、腹は、そんな説明もお願いもしてへんはずや、だいたいからして、腹はやな~背を軽んじてる、間違いあらへん」、と、ズンズンと声が大きくなるOくん。
おそらく、その臭いは、誰かが、勝手に「腹」と「背」の二者を格付けした、その時から、ジワリジワリと腐敗し始めた、そのヌルヌルとしたドロ沼のようなところから、漂ってくるのだろう、と私は思っている。
たしかに、医学的に、とか、生物学的に、とか、というのであるならば、わからないわけではない。とくに西洋医学などというものは、そもそもそういうものなのだ、と理解もしている。
しかしながら、この考え方で、政治やら、教育やら、福祉やら、農業やら、食やら、伝統やら、文化やら、まちづくりやら、に臨むのは、いかがなものだろう。
私は、勝手に格付けをして、ニヤリとほくそ笑みながら、弱きものを犠牲にする、その得体の知れないナニかを、ヌルヌルドロ沼に棲みつく「妖怪セニハラハカエラレヌルヌル」と呼んでいる。
だがしかし、100年先を見通した正義と英知と行動がありさえすれば、この、とことん怪しい恐怖の妖怪を、封印することは、必ずできるはずである、と、私は信じている。(つづく)