はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と八十二
「ジャクシャノタメニ ワリヲクウ! ジャクシャノタメニ ワリヲクウ?」
先ほどから、いや、以前からずっと、ことあるごとに、「愚かなる権力者たちによるその場しのぎの稚拙で短絡的な発言が、行動が、施策が、必ずと言っていいほど『分断』」と『衝突』を呼ぶ」、と、二人して言い続けている。
ダレかを攻撃することで、ダレかを軽んじることで、歪んだ共感を集め、ダークな輪を広げる。というこの手法は、手口は、どこからどう考えても「分断」と「衝突」を呼ぶだろ、と、Aくんや私でなくても、少し落ち着いて考えてみれば、ダレでもが思うコトであるはずだ。
そして、その、取り返しのつかない最悪のケースが、あの、「戦争」なのだろう。
戦争を起こしてでも、多くの弱き者の命を犠牲にしてでも、自分たちの立場を、権力を、利権を、守ろうとするその姿勢に、適切な表現ではないかもしれないが、「狂気」さえも感じる。
漠然と、重く、そんなコトを考えたりしていると、突然、Aくんがボソリと呟く。
「弱者のために割りを食う」
ん?
またまた、少し、面喰らう。
「ピーポーたちの心の中に、弱者のために割りを食う、という意識が、ブヨブヨと膨らんできつつあるような気がしてならないんだよな」
弱者のために、割りを食う、弱者のために割りを食う、か~。
「その意識もまた、支持を得るために、ダレかを共通の敵に仕立て上げて攻撃してきたことで、生み出されたモノ、というコトですか」
「そういうコトだ。弱者たちのために、なぜ、私たちが辛い思いをしなければならないのか、犠牲にならなければならないのか、などといった意識が、考え方が、万が一にもスタンダードなものになってしまったとしたら、もう、この社会は、国は、世界は、トンでもない方向に突き進むことしかできなくなってしまうはずだ。そうは思わないかい」
恐ろしい、ホントに恐ろしいことだ。
そうした、「弱者のために割りを食う」という闇の広がりによって、ジュクジュクと病んでいくこの社会の未来は、・・・いったい。
するとAくん、ほんの少し先生っぽい顔つきで、「謝らない、も、子どもたちとって相当に好ましくないけれど、この、弱者のために割りを食う、は、間違いなくそれ以上に、目一杯、子どもたちの人間形成にとって、成長にとって、好ましくないよな~」、と。
(つづく)