はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と三十九
「ショウ ショウ ショウショウジン」
それでも、おもわず使ってしまう言葉であることもまた事実。相手に対しても、自分自身に対しても、エールを送る意味で、励ます意味で、つい、「がんばれ」と声を掛けてしまう。もちろん、ソコに、悪意など微塵もない。
そんな、なんとなく苦しい立場に追いやられかけている「がんばれ」ではあるのだけれど、そもそも「がんばれ」とは、「がんばる」とは、いったい、ナンなのだろう。
そういえば、以前、あるお坊さんが、お釈迦(シャカ)さんの教えである八正道(ハッショウドウ)の一つ、「正精進(ショウショウジン)」、に、通ずるモノが「がんばる」ではないだろうか、みたいなコトを話されていた。
正精進、正しき精進。
私が抱いている「精進」のイメージは、まず精進料理。とくに京都の宇治で頂いた「普茶(フチャ)」とかいう精進料理は、格別に充実したものであったことを今でもハッキリと覚えている。そして、もう一つのイメージ。それは、雑念を捨てて修行に身を投じる、で、ある。さすがにそう易々とは実践などできそうにない、そんな「精進」だけれど、その頭に「正」の文字までがドンと乗っかっていたりするわけだから、この正精進、悪行(アッコウ)を滅し善行に励む、というような意味にでもなるのだろうか。
正しき精進、正精進。
あのお坊さんが話されていたように、正しき精進、正精進、が、「がんばる」ことであるのなら、ついつい「がんばれ」とエールを送ってしまうことも、そんなエールを皆で気持ちよく受け止めて、朗らかに、正しきことに向けて「がんばってみる」ことができるのであれば、それほど罪深いことではないのかもしれないな、などと、思ったりもする。
そんなことを思ったりもしつつ、いつのまにか私は、Aくんが席を外していることをいいことに、ひょっとしたら秘密裏につくられた「正精進」のテーマソングではないかとさえ思わせるあの童謡界の名曲を、小さな声ながら歌い出してしまっていたのである。
♪しょ~しょ~
しょ~しょ~じん
しょ~しょ~じんの
にっわっはっ
つっつっつきよっだ
み~んなでって
こいっこいっこい
(つづく)