ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.662

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と三

「ミライ ハ コドモタチ コドモタチ ハ ミライ」

 よほどの人格者でない限り、自分が死んだあとのことなど知ったこっちゃない、と、ついつい思いがちなのではないだろうか、とAくん。

 「それは、年をとればとるほど超短期でものごとを考えがちになる、ということですか」、と私。

 「もちろん、一概には言えないけれど、どうしても、そんな感じに思えてしまうんだよな」

 そういえば、ある村の未来に関わる極めて重大な案件を審議している最中に、村長らしき年配の方が、ま、ワシは、その頃には生きていませんがね、みたいなことを、ノホホンと宣っていたことを思い出す。

 おそらく、そういうことなのだろう、Aくんが抱いている危惧は。 

 「となると、つまり、問われるべき重要なことは、国の、世界の、その中核に、その、よほどの人格者が、おられるのか、おられないのか、さ、どっちだ、ということになりますよね」、と私。

 「ナニごとにおいてもそうだと思うんだけれど、この、知ったこっちゃない、という心の有りようが、結構、厄介なんだよな」

 知ったこっちゃない、か~。

 「その中でも、自分が死んだあとのことなんか、が、とりわけ罪深い、というわけだ」

 なるほど、だから、それゆえに、超長期的な考え方ができない、未来を見据えられない、今さえ良ければいい、みたいなことになるのだろうな、と、ドスンと重く思えてくる。

 「未来とは、子どもたち。未来を軽んじるということは、子どもたちを軽んじる、ということに他ならない。ということだけは、絶対に忘れるべきではないんだが」

 「忘れがち、だということですね」

 「悲しいかな、そういうことだな」

 死んだあとのことなんか知ったこっちゃない、と、どうしても思いがちな方々には、少なくとも、この国の、この星の、未来に、大いなる責任があるポジションからは、早々に潔く身を引いていただかなくては、という思いが、フツフツと、フツフツと湧き上がってくる。(つづく)