はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と十六
「アンシンノ ミライ アッテコソ」
「悲しいかな、みんな、年を取る」
ん?
「『年寄り』という種族も『若者』という種族も、この世には存在しない」
んん?
「だから、時折耳にする、両者が敵対するような、両者を敵対させるような、そうした発想、言動、そのものが、『愚か』だということだ」
ん~。
おそらく、Aくんは、年寄りも若者も、どちらも同じ自分なのだ、ということを言いたいのだろう。人生の中のどの位置にいるのか。元気ハツラツな頃の自分が「若者」であり、いよいよ枯れ始めたな、という頃の自分が「年寄り」ということになるのだろう。そんな、年齢や立場が異なる自分同士を対立させることにナンの意味があるのか。Aくんのみならず私も、ソコに、姑息な政治的戦略以外にはナニも、見出だすことができない。
「つまり、未来とは、年を取った自分がいる世界なのだ、ということを忘れてはいけない。タイムマシンではないのだから、若者が若者のまま未来の中にいることなど、残念ながらあり得ない、というわけだ」
誰しもが年を取る未来、か~。
「にもかかわらず、権力者たちは、見事なまでに未来を軽んじて、その場しのぎの愚策を長きに渡って行ってきたコトを棚に上げて、いとも簡単に、若者たちの未来である『年寄り』たちをバッシング対象にすることによって、詰まるところ、結局、若者たちに、未来への不安感を抱かせてしまう。たとえば、あの、経済ひとつとってみても、誰もが年を取る『未来』が『安心』感に満ちてこその経済だというのにだ」
年寄り、若者、同じ自分、未来、不安感、経済・・・。
またまた少し、ヤヤこしくなってきた。
「簡単に言えば、そうでなければ、積極的にお金を使おうなんて思わんだろ、普通。ということだ」
「未来に、未来に対して不安を抱く若者たちは、どうしても『守り』に入る、ということですか」
「守りに入るだけならまだしも、投げやりになる、どうでもよくなる、場合によっては、抑えきれない苛立ちや無節操な怒りばかりが増殖して、無実の弱者を誹謗する、傷つける。この『傷つける』が、ホントに厄介なコトに繋がっていくことになるわけだ」
厄介なコトに繋がっていく、か~。
守りに入る程度では済まなくなる、ということか。
「つまり、未来を、真剣に、冷静に、深く、考えなくなるということだ」
むしろ、よりシッカリと考えなければならないぐらい未来は、不安定に、無秩序に、オキテ破りになりつつあるように思えるのに、もし、若者たちが、自分たちの大事な未来を、「もう、どうでもいいや」などと思い始めているとしたら、たしかに、経済も含めて、この国の未来は、本格的に取り返しがつかないモノになってしまうかもしれないな。(つづく)