ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.661

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と弐

「ノンノンノン ノウ!」

 「ほら、君って、たしか、古典芸能の、あの、能、が、好きだったよね」、とAくん。

 「は、はい。なぜか肌に合う、というか、背筋が伸びる、というか、とにかく、そういうところがたまらなく好きなのです」、と私。

 この世の中は、到底、成仏などできそうにない無念の死で溢れている、という思いが、以前からずっと私の中にはある。生への未練、執着。易々とは受け入れ難い無数の死が、そのあたりをフワリフワリと彷徨(サマヨ)っているのだ。

 そんな、心乱れる生と死の世界を、一つの舞台芸術として、およそ700年前に、観阿弥、そして世阿弥が具現化させたもの、それが、私イチオシの「能」なのである。

 「これだけのトンでもないことが起こる時代であるがゆえに、納得できない死を、受け入れ難い死を、それでも受け入れなければならない死を、イヤでも、イヤというほど考えさせられる。そんな時代だからこそ、の、能、だと、この僕でさえ思うわけ」

 おおっ。

 古典芸能の、というよりは、むしろ、心底ハードロックのAくんに、そこまで能について熱く語られてしまうと、その熱がコチラにまで伝わって、いくらか体温が上昇したような気がしてくる。

 「能、って、ホントにロックだよな」、と、シミジミと、Aくん。

 「そ、そうなんです。様式美、も、上っ面(ツラ)ではない様式美、というものがあるのです。ハードロックは、結局、上っ面な様式美にしてやられてしまったわけでしょ」

 あっ、言ってしまったその尻から、言わなきゃ良かった、と、後悔する。そもそもハードロックに罪などないのである。

 おそらくやってくるであろうAくんの逆襲のその前に、「すみません、今のは撤回させていただきます」、と、とりあえず、すかさず丁重なる陳謝を試みる。

 ところがAくん、人差し指を口の前で小さく左右に動かしながら、「ノンノンノン、ノウ」、と。

 「えっ!?」

 「ハードロックのことは、この際、もうどうでもイイや」

 「ええっ!?」

 「様式美であろうがナンであろうが、途方もないほどの長い年月をかけてトコトン突き詰められたものは、我々一般ピーポーごときでは計り知れないほど、トンでもなく尊く、パワーに満ち溢れている、ということだよな」

 「えっ、ええ、そ、そうです、そういうことなんです」

 「この、怪しく乱れたこの国に、この星に、それじゃダメだ、ダメなんだよ、しっかりしろよ、ちゃんと向き合おうよ、考えてみようよ、と、戒めてくれているような、鼓舞してくれるような、そんな、ノンノンノン、ノウ、能、なんだと、この頃、とくに、思う、わけ」

 いつも通りのわかりにくさ満載、の、Aくん節ではあるけれど、その、ノンノンノン、ノウ、能!。ソコから伝わってくるものは、濃厚に、ある。(つづく)