ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.621

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六十二

「セイジ デハナク カガク」

 どちらかというと、政治も科学も苦手分野で、好き嫌いで言えば、少なくとも好きではない。のだけれど、ある国の、権力を握るシモジモじゃないエライ人の、この、「政治ではなく科学」という言葉は、好き嫌いで言えば、なぜか、少なくとも嫌いではない。

 「科学的な根拠なき楽観主義、に、基づく政治がもたらす悲劇、って、ありますよね」、と私。

 「ん~、ソレって、なぜ、あの原発事故を防げなかったのか、にも、繋がってくる話だよな」、とAくん。

 「でも、そのわりには、政治を司る権力者たちは、いつだって、謙虚に、専門家の意見を聞きながら、などと、宣っていますよね」

 「だからこそ、そのために、自分たちにとって都合の悪い専門家を近付けないようにしているのかもよ」

 都合の悪い専門家を、近付けない、か~。

 しかし、その、都合の悪い専門家の真逆にいる、もう一方の都合のいい専門家とは、いったい、いかなる専門家なのだろう。とても気になる。

 「科学に基づかない科学者が、この世には存在する、ということですか」

 「おそらく、目先の安定、利便性、コスト、といったものに魂を奪われて、あるいは、そうした政治を司る権力者側の思惑に心乱されて、本来なら、極めて高いハードルではあるけれど、未来のためにもナニがナンでも越えていかなければならない専門家であるべきなのに、そうした難題に真っ向から立ち向かっていくための、勇気も誠意も熱意も責任感も、国民に気付かれないようにポイッとゴミ箱に捨ててしまった、ということなんだろうな」

 ナ、ナンということだ。

 そんな、真っ当な科学に基づかない科学者がいるかもしれない、と、思うだけでも、充分に、背筋が凍り付く。

 ナニかに振り回された嘘偽りの科学ではないホンモノの科学、に、基づくという意味での「政治ではなく科学」という言葉、を、いま一度、自分なりに噛み締めてみたいと思う。(つづく)