ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.521

はしご酒(4軒目) その百と百と六十二

「マスマス メ ヲ スマス カラノ ミラクル ミヌクルマン サンジョウ!」①

 少しの間、おとなしくしていた、というか、女将さんと、コソコソと、おしゃべりを楽しんでいたAくんであったのだけれど、私が、ブツブツと独り言(ゴ)つるように語る「ますます耳をすます」理論にも、少しは興味を示したのか、それなりに聞き耳をたててくれていたようだ。

 おっしゃる通り、その耳も大事だが、心の目を含む、この目もまた、同じぐらい大事だと、僕は思っている、とAくん。

 

 目をすます

 目を見開く

 目を凝らす

 目を注ぐ

 

 彼の口から発せられる「目を」シリーズのいくつかを聞くにつけ、たしかに、目も侮れないな、という気はしてくる。

 間違っても、目を疑うような愚行から目を背け、目を覆う、などというようなことにならないよう、心の中の肝(キモ)に、シッカリと命じておく必要がありそうだ。

 するとAくん、どうでもいいような、トコロばかりに目をやることで、聞かなければならない大切なオトが聞こえなくなることもあるんだぞ、という、「目」と「耳」とのブラボ~な一体型とも言える、この、孟子かダレかの言葉が、結構、好きなんだ、と、前置きした上で、その言葉を披露する。

 

 目に秋毫(シュウゴウ)の末を察すれば耳に雷霆(ライテイ)の声を聞かず

 

 「秋毫」とは、極めて小さくて、取るに足らない些細なコトやらモノやらであり、「雷霆」とは、迫り来る恐ろしい雷だ、という。

 さすが、孟子(?)、なるほど、納得させられる。(つづく)