はしご酒(4軒目) その百と百と六十三
「マスマス メ ヲ スマス カラノ ミラクル ミヌクルマン サンジョウ!」②
さらにAくん、そんな目のパワーをフル稼働させ、ミラクルに見抜く力をもつスーパーな人たちのことを、僕は、「ミヌクルマン」と呼んでいる、と、畳み掛ける。
「ミ、ミヌクル、マン、ですか」、と私。
「そう、ミヌクルマン。何度となく、口がスッパくなるぐらい言い続けているけれど、この世の中は、ミラクルに見抜くぐらいのパワーを持ち合わせていなければ、到底、見抜くことなどできやしないほど、陰湿な怪しさで満ち溢れている」、と、ピシリとAくん。
「それは、あの、知ろうとする努力をせずに、ボンヤリと日々を過ごしたそのあとで、知らなかった~、と、後悔する、あの、シラナカッターマンの、親戚筋かナニかですか」
「いや、親戚筋というよりは、むしろ、その真逆の筋系」
「真逆の、筋系、ですか」
「ミラクルに見抜く力のミヌクルマンは、この世の中の怪しさに、騙されることも、弄(モテアソ)ばれることも、絶体にない、天下無敵のスーパーセンサーマンだからな」
「私のように、ナニかにつけて疑い深い、ということですね」
「ん~、・・・、ちょっと違うな。言わせてもらうなら、その上を行(ユ)く、という感じ。疑うと見抜くとでは、申し訳ないが、そのパワーの質も量も違う」
疑うと見抜くとでは、その質も量も違う、か~・・・。
「さらに、わかりやすく言わせてもらうなら、ブリとツバス、それぐらいの違いはある」
「ハマチを飛び越えて、ツ、ツバス、ですか」
「とは言っても、個人的には、ツバスのほうが好みで、スーパーの魚売り場でブリとツバスが並んでいたら、迷わず、ツバスをチョイスするんだけどね」
私を慮(オモンパカ)っての、Aくんなりのフォローなのかもしれないけれど、なんだかあまり嬉しくない。そもそも、その例えは、いらないと思う。のだけれども、なんとなく、なるほど、という気もしなくはない。
ナニかとコトあるごとの、シモジモじゃないエライ強者たちにとって都合のいいデータや、都合の悪い相手を泥沼に陥(オトシイ)れるようなデマゴーグとフェイクなニュース。加えて、一聴する分には、一見した限りでは、良さげに聞こえる、良さげに見える、そんな、戦略的なモロモロが、ゴロゴロと姿を現しがちな現代社会においては、Aくんが宣うような、ミラクルにハイパワーなセンサーを持ち合わせたミヌクルマンぐらいでなければ、善良な一般ピーポーとして、翻弄されることなく真っ当に、生き抜いていくことなどできないのかもしれない。(つづく)