ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.392

はしご酒(4軒目) その百と四十三

「ゼントタナン ココロ ノ ジュギョウ」①

 教育のヤヤこしさは、ヤヤもすると、その教育の側面に、ヤヤこしきものがベチャッとへばりつきやすい、という特質ゆえのヤヤこしさなのだろう、とAくん。とくに公教育における「心の授業」で、そのヤヤこしさは際立つ、という。

 相変わらずのAくん独特のヤヤこしい切り口とモノ言いに、少々面喰らいつつも、なんとなく伝わって来るものはある。

「心の時代」だと思う。思うからこそ、その心の授業をいかにして展開するか、展開できるか、が、これからの教育の肝(キモ)であるように、私も思う。のだけれど、Aくんの熱き語りに耳を傾ければ傾けるほど、この心の授業、そう簡単には、そのヤヤこしさから切り離すことなどできそうにないような、そんな気がしてくるものだから、さらにことはヤヤこしくなってくる。

 そんな中、その、心の授業の筆頭に、あの、「道徳」があるわけなのだけれど、残念ながら、子どもたちにも、ひょっとしたら先生たちにも、さほど人気がないように見受けられる。

 なぜなのか。

 そのあたりに、この、心の授業に、へばりつき、まとわりつく、ヤヤこしきものが、そのヤヤこしきものの正体が、チョロチョロチョロチョロと動き回っているように、私には、思えてならないのである。(つづく)