ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.311

はしご酒(4軒目) その六十二

「ロック ナ マンヨウシュウ」

 「身分やら立場やら性別やらの垣根を軽く越えた、人々の、魂の、愛の、歌であり、さらには、わからないようにコッソリと、な、体制への恨み、憤り、の歌でもある、そんな万葉集のそこかしこに、ロックを感じるんだよな~」、とAくん。

 「ま、まん、万葉集にロックを、ですか」、と、少々驚きつつ、私。 

 「魂と愛のラップ、と言ってもいいかもしれない。もちろん、若いときには、そんなこと、微塵も思わなかった。でも、だんだんと、ロックだよな~、ラップだよな~、って思うようになってきた、というわけだ、わかる?」

 「わかるも、わからないも、そもそも、万葉集そのものが、よくわかっていないので、なんとも」

 「揚げ出し豆腐も、そうなんだけど、この国の文化の特筆すべき点のその一つに、凝縮感、がある、と、僕は思っている」

 「ぎょ、ぎょう、凝縮感、ですか」

 「そう。トコトン無駄を削ぎ落とした、美、だな」

 「ん~、無駄を削ぎ落としたロック、ラップ・・・」

 「つまり、ロックな魂で、無駄を削ぎ落とした美、を、歌う、という、そういう感じ、かな」

 熱っぽく語るAくんには申し訳ないけれど、この「無駄を削ぎ落としたロックな万葉集」理論、私には、なんとなくの雰囲気ぐらいしか伝わってこないし、理解もできない。しかしながら、そのロックな雰囲気が、ひょっとすると、荒れに荒れるこの殺伐とした現代社会に身を置き、悶えながらも生きていくことを強いられた、そんな我々にとって、結構、大切なものなのかもしれない、というコトだけは、それなりにジンジンと伝わってきたりするものだから、なかなか興味深いのだ。(つづく)