ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.312

はしご酒(4軒目) その六十三

「キョボクダマシイ」

 500年、1000年、3000年、5000年・・・、の間、チッポケで愚かな我々を、ず~っと「よしよし」と、見続けてきた、見守り続けてきた、巨樹、巨木たちが、この国には、この星には、いる。そんな巨木に、たまたま遭遇し、手でも触れてみようものなら、頬擦りでもしてみようものなら、「なんだろう、この感触は、この温(ヌク)もりは」などと、とびっきり潤った気持ちになったり、場合によっては、ひょっとすると精霊でも棲み着いているのではないだろうか、などと、心底、思ってみたりもするのである。

 こういった、チッポケな人間ごときなどをアッサリと飛び越えてしまうぐらいの、揺るぎない大きなモノがあるからこそ、人間は、ヒトとして、ヒトらしく、慎ましやかに、謙虚に、生きていける、ような気さえする。

 にもかかわらず、そういった巨木魂に、心動かされることも、奪われることも、畏怖の念を感じることも、全くない、という者たちも、もちろん、いないわけではない。おそらく、そもそも、そういう者たちにとっての大きなモノ、とは、人間のちっぽけな域を越えるような、そんなモノではないのだろう。

 ちっぽけな域を越えない、見せかけだけの大きなモノ。

 つまり、彼らは、彼女らは、人間ごときまみれの見せかけだけの大きなモノ、たとえば、権力とか、武力とか、経済力とか、といったモノたちに、振り回されながら、チンタラチンタラと生きていくのだろうな~。

 などと、ボンヤリと考えてみたりしていると、不意に、とてつもなくいい香りに、襲われる。

 女将さんの「これは、私の意地のサービス」という、少々、不敵ともとれる声とともに、目の前に置かれたゴツッとした器の中で、懐かしのサイコロキャラメルほどの大きさに揚げられた豆腐たちが、ホッコリと出汁の湯船に浸かりながら、私たちを上目づかいに眺めていたのである。(つづく)