ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.141

はしご酒(2軒目) その四十三

「エイキヲヤシナウ カンゼンキュウヨウ」

 苦しいときの神頼み、ならぬ、「気合い」頼み、まだまだ幅を利かせている。

 私も、全否定するつもりはない。気合いがもつ一種独特なスピリチュアルパワーに、時折期待してしまうことがあるし、そのパワーで(勘違いかもしれないが)乗り切れたな、と思うときもまた、あるような気がしている。

 しかしながら、心身ともにトコトンなダメージを受けてしまった場合は、(気合い、には、少し遠慮しておいていただいて)英気を養うための完全休養をオススメする。

 「そういえば、新聞のコラムかなんかで読んだんやけど、台風でトコトンなダメージを受けてしもたソメイヨシノ、その翌年は、できるだけ花を咲かさへんように、するらしいで」、とOくん。「咲かさない?、台風のダメージで咲かなかっただけなんじゃないんですか」、と、すぐさまお兄さん。「無理せんとこ~、と、その次の年に向けて、じっくりチカラをためて、英気を養う、って書いてあったと思うんやけどな~」、自信が少々下降線をたどるOくん。「無理せんとこ、ですか~」、と、ジンワリつれないお兄さん。

 しかしながら、仮にOくんが言う通りであるとしたら、脳があるわけでもないのに、なんという冷静な判断、緻密な計画性、しかも、気持ちいいほどの潔さ、なのだろう。その潔さは、見習わないといけないかもしれない。なんといっても、このナゾがナゾ呼ぶ人間社会では、その潔さを実現するなどということは、かなりの至難の技であろうから。

 「むしろ、その脳が邪魔するんかも」、とOくん。「考えてしまいますからね、脳は、余計なことまで」、とお兄さん。

 ココはやはり、不覚にもトコトンなダメージを受けてしまったときは、ソメイヨシノの潔さを見習い、脳にはナニも考えないようにしていてもらって、無理をせず、完全休養で、明日のための英気を養う!、コレしかないのではないだろうか。いや、コレでないとダメだ、と、切実に、思う。(つづく)