ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.142

はしご酒(2軒目) その四十四

「サラバ ノンポリ メザセ ニュートラー」①

 汝の敵を愛せないなら、ハナから、敵なんかつくらなければいい、という、Oくんの真っ当な指摘が、私の脳ミソにへばり付いたままだ。(このように、イロイロと、へばり付いたりするものだから、「脳」は、厄介なのだろうな、きっと)

 だけど、ソレが真っ当な指摘であったとしても、ハナから敵をつくらない、など、到底、できそうにない。

 敵は、いつだって、眼前に現れる。 

 そして、私ごときでは、汝の敵は、愛せない。

 そんな情けない私であるだけに、自分の中に、どうしても、いつだって、ちょっとした罪悪感が、プスプスと、限りなく腐敗っぽくプスプスと発酵してしまう。

 でも、やっぱり、汝の敵は、愛せそうにない。

 それでも、どうにかしてでも、自分自身を、ニュートラルなトコロに置いておかないといけない、と、そうでなければ、人のコトバに耳を傾けることなどできるはずがない、と、とは、思っている。思ってはいるが、どうしても、敵をつくってしまったその時点で、ズルズルと、ズルズルとニュートラルなトコロから滑り落ちがちだ。そして、もう、どうしようもなくなる。

 そういう意味でも、ニュートラルな「ニュートラリスト」、もしくは、(人知れず私が命名した)「ニュートラー」でなければならない、という思いだけは強いのだけれど。

 「常にニュートラルで考えられるニュートラーでなければならないと、思いはしているのですが」

 「そのニュートラーっちゅうのは、ノンポリっちゅうこと?」、とOくん。

 ノンポリ(「nonpolitical」の略)、か~。

 さすがに、あまり、耳にしなくなったな。

 私が知る限りでは、「ノンポリ」と「ニュートラー」とは似て非なるモノ。そもそものベクトルが、違うような気がしている。「ノンポリ」には、「ニュートラー」のような次へのステップ感が、極めて希薄。な、ように、思えてならないからだ。「関心がない」と最初から言ってしまうことと、「関心がある」からこそ、ニュートラルなところに身を置いて、クールに考えたい、とを、同一のモノと捉えるには、どうしても無理がある。

 そんな「ニュートラー」を、どうにかしてでもめざしたいのだけれど、残念ながら、全くもって自信がない。

(つづく)