はしご酒(2軒目) その四十四
汝の敵を愛せないなら、ハナから、敵なんかつくらなければいい、という、Oくんの真っ当な指摘が、私の脳ミソにへばり付いたままだ。(このように、イロイロと、へばり付いたりするものだから、「脳」は、厄介なのだろうな、きっと)
だけど、ソレが真っ当な指摘であったとしても、ハナから敵をつくらない、など、到底、できそうにない。
敵は、いつだって、眼前に現れる。
そして、私ごときでは、汝の敵は、愛せない。
そんな情けない私であるだけに、自分の中に、どうしても、いつだって、ちょっとした罪悪感が、プスプスと、限りなく腐敗っぽくプスプスと発酵してしまう。
でも、やっぱり、汝の敵は、愛せそうにない。
それでも、どうにかしてでも、自分自身を、ニュートラルなトコロに置いておかないといけない、と、そうでなければ、人のコトバに耳を傾けることなどできるはずがない、と、とは、思っている。思ってはいるが、どうしても、敵をつくってしまったその時点で、ズルズルと、ズルズルとニュートラルなトコロから滑り落ちがちだ。そして、もう、どうしようもなくなる。
そういう意味でも、ニュートラルな「ニュートラリスト」、もしくは、(人知れず私が命名した)「ニュートラー」でなければならない、という思いだけは強いのだけれど。
「常にニュートラルで考えられるニュートラーでなければならないと、思いはしているのですが」
「そのニュートラーっちゅうのは、ノンポリっちゅうこと?」、とOくん。
ノンポリ(「nonpolitical」の略)、か~。
さすがに、あまり、耳にしなくなったな。
私が知る限りでは、「ノンポリ」と「ニュートラー」とは似て非なるモノ。そもそものベクトルが、違うような気がしている。「ノンポリ」には、「ニュートラー」のような次へのステップ感が、極めて希薄。な、ように、思えてならないからだ。「関心がない」と最初から言ってしまうことと、「関心がある」からこそ、ニュートラルなところに身を置いて、クールに考えたい、とを、同一のモノと捉えるには、どうしても無理がある。
そんな「ニュートラー」を、どうにかしてでもめざしたいのだけれど、残念ながら、全くもって自信がない。
(つづく)