ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.138

はしご酒(2軒目) その四十

「プチプロ!」①

 「プロ、プロフェッショナル、の定義とは、なんだろう」、と、AくんやらOくんやらのことを、とやかくは言えないほど、もう充分にMr.唐突感丸出しの私。

 そんな私の唐突感丸出しに触れることなく、「まず、生業(ナリワイ)であるっちゅうことやな、それで、おマンマが食えてるんやから、たいしたもんや」、とOくん。

 その通りだ。しかしながら、それだけでは、少々弱い。

 「それに、なんやかんや言うても、実力的に、突き抜けた感があるわな~、悪いけど、アマチュアは、やっぱり、アマチュアや」。

 プロの実力か~、とくにスポーツ界がわかりやすい、かもしれないな。

 すると、ボソボソっとお兄さん。「よくわからないけど、僕にとってのプロフェッショナルというものには、命、イノチ、が、強烈にへばりついている、そんな感じが、なんとなく」。

 命、イノチ、イ、ノ、チ、か~。

 命を賭ける。

 命を守る。

 命を救う。

 命を育てる。

 命を教える。

 命のために、働く。

 なるほど、たしかに、そう言われると、ドンドンとそんな気がしてくるから、不思議だ。

 「それ、重たそうやな~、ヤワな精神力やと、潰れてまうわ」、とOくん。

 「潰れてしまわないほど、強靭な精神力、こそが、プロの、プロフェッショナルの、証し、ってことかな」、と私。

 「いや~、そこまで言うてまうと、ちょっとな~」と珍しく弱腰なOくんであるけれど、Oくんの気持ちがわらないわけではない。自分が潰れてしまうかもしれないほどの重たさを、背負うことの危うさ、そのことに、彼は、一抹の不安を抱いているのだろう。

 私は、必ずしも、そんなプロ、プロフェッショナル、で、あらねばならない、とは考えていない。たとえば、(それほどでもない、一歩、二歩、三歩、手前の)プチプロ(フェッショナル)みたいなものであってもいいのではないだろうか。だからこそのシモジモであるエラクナイ一般ピーポーなのである。それでいい、それでいいのだ。

 ただ、その強靭な精神力、というものは、もちたい、という(ほとんど憧れのようなものだけれど)思いだけは、ある。(つづく)