ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.136

はしご酒(2軒目) その三十八

「ゼツメツキグショク ショック!」

 人には、得意不得意(コレだけは任せてほしい、でも、ソレだけは勘弁してほしい)がある。

 もって生まれた能力は、人の数だけアレやコレやとある。が、もって生まれた不得意、苦手、もまた、人の数だけアレやコレやとある。ということである。だからこそ、アレやコレやの職業がなければならない。そうでなければ、もって生まれたその能力を仕事に発揮することなど到底できやしない、どころか、致し方なく苦手分野で頑張ることを強いられる中で、人は、ドンドンと疲弊していくのだ、というのが、Aくんの持論である。

 私は、この国から、アレやコレやの職業が、ジリリジリリと消えつつあるような気が、かなり以前から、している。と同時に、かなり重い不安を抱き続けてもいる。

 とくに、いわゆる、ものづくり的な、職人技的な、そんな、分野の、業界の、業種に、職業に、その、ジリリジリリ感の強さを感じているのである。

 機械化、IT化、グローバル化、さらにはAI化。そのあたりの、経済効果的には「いいね!」連発が期待できそうな「化、化、化、化」が、関係しているのだろうけれど、そうしたコトに加えて、私には、この国の人々の内なるところから、農作物などをも含む「モノ」、そして「コト」、に、対する「コダワリ」が、ものすごいスピードで減少してきているのではないか、という思いがある。それゆえに、マガイモノとまでは言わないけれど、ホンモノではないモノが、台頭し始めたのではないだろうか。この台頭は、やはり、いろいろな意味で、充分にキツイ。

 「絶滅危惧職」(急激な時代の流れの中で、翻弄されつつ、絶滅が危惧されている職業のことを、私は、そう呼んでいる)、いったんこの国から完全に消えてしまったら、そう簡単には(どころか、もう二度と)復活などできない。そのことを(そんなタイヘンなことになっているなんて知らなかったわ~大ショック~などというようなことにならないためにも)キモに銘じておく必要がある、と、かなり切実に思っている。(つづく)