ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.125

はしご酒(2軒目) その二十七

「クウキ ヲ ツカム」②

 「寄席で楽しませてもろた演目が、たまたま同じ噺家さんで、TVでもやってたんやけど、なんか、ちゃうんやよな~」、とOくん。

 そうそうそうそう、ソレだ。

 おそらく、いや、きっと、噺家さんは噺家さんで、その寄席のその空気を掴んでいる、のだと思う。噺家さん、お客さん、そして演目、そして会場。それらが有機的に絡んでこそのライブ感であり、TV画面からでは、なかなか伝わり辛い空気感なのであろう。

 すると、Oくん、「ほんま、不思議なんやけど、ラジオで聞く落語っちゅうのんも、なかなかオツなもんなんやな~」、と。

 「ラジオ?」、と私。

 想定外のOくんの言葉に、少々、面喰らう。

 「ラジオ、ラジオ寄席。知らんの? 、聞いたことあらへんの?」、と、驚いたような、呆れたような、まさにそんな表情の、Oくん。

 もちろん、知らないわけではないけれど、ラジオで落語、とは。う~ん、ラジオ、落語。仕草も表情も見えないだけに、どうしても、分かり辛い。空気を、空気感を掴み辛い。と、思ってしまう。

 にもかかわらず、「オツなもんなんやな~」とは。

 「視覚的な情報がないわけでしょ。声だけが頼り、では、心許(モト)なくないですか?」

 すると、Oくん、「逆にやな、情報が少ない分、こっちの頭の中で、勝手に広がっていくっちゅうか、膨らんでいくっちゅうか。それはそれで、充分にスペッシャルな空気感がブワ~ンと、こんな感じに」、と、言いながら、両手を、ブワ~ンと大きくV (ブイ)の字になるように広げてみせた。

 頭の中で、勝手に膨らんでいく、か~。

 寄席での落語、の、対極にあるかのように思われる「ラジオ寄席」だが、ソレが上質なモノであるなら、聞き手の集中力やら想像力やらを思いっ切り刺激して、充分にスペッシャルな空気感をつくれる、醸(カモ)しだせる、というコトなのかもしれないな。

 能楽も、授業も、落語も、そしてラジオも、実に奥が深い。

(つづく)