はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と八十四
「ソコダケ モリ」
まだまだ若さが溢れていた頃、自動車などという怠惰な便利グッズに心奪われる前、私は、プジョー製の愛(自転)車で、そこかしこを走り回りまくっていた。
そんな頃の記憶である。
私は、なぜかソコだけコンパクトにコンモリと森、という「ソコだけ森」に、何度も遭遇する。
この、ソコだけ森、なぜかソコだけナニかが違う、明らかに違うのである。
一体、ナニが違うのか。
「ソコだけ森、って、その周囲とナニかが違いますよね」、と、Aくんに尋ねてみる。
「ん?」
思いっ切りキョトンとしているのが、コチラまで伝わってくる。
「田んぼの真ん中に、忽然と、コンモリと、現れたりするじゃないですか、ソコだけ森、が」
すると、「キョトン」から一気に解放されたかのような趣で、Aくん、サラリと言ってのける。
「鎮守の森、ね」
ち、鎮守の、森?
あ、あ、あ~、鎮守の森、鎮守の森、か~。
今まで、結びつかないままであったその両者が、電光石火の勢いで、突然、ガッチリと手を握り合う。
そうか、そうだ、そうに違いない、鎮守の森、鎮守の森、だ。
不思議の森、「ソコだけ森」は、「鎮守の森」であったのである。
「鎮守の森は、祠(ホコラ)の森、神さんの森。周囲と空気感が違うのは、当然と言えば当然、かもな」
なるほど、なるほど、そういうことか。
「でもね、君のように、理屈抜きに、その異なる空気感を肌で感じられる、感じ取れる、ということは、素晴らしいことだ」
目一杯、照れてしまう。
「人々が、そうした空気そのものの質の違いみたいなものを感じ取れるか否かで、さらには、そうした空気感に畏怖の念を抱けるか否か、で、この国の姿カタチまで変わってくるんじゃないか、って、思うんだよな~、僕は」
現代社会にドップリと浸かりまくっている私ごときが、ナニを偉そうに、って感じではあるけれど、あえて言わせてもらうとするならば、ひょっとしたら、この国は、知らず知らずのうちに、こういった異なる空気感に、畏怖の念を抱けなくなってしまったがゆえに、これだけの、手当たり次第の乱開発を繰り返し、結果として、多くのモノを失ってしまったのかもしれない、な。(つづく)