お会計①
このところ、Aくんは全く顔を見せていない。
最初の頃は「今日は来ていないんだ~」とか「仕事が忙しいのかな~」などと、なんとなく思ったりする程度であったが、これほど長く顔を見せないとなると、さすがにちょっと心配になってきたりもする。が、大丈夫だと思う。Aくんは大丈夫、それがAくんなのだ。
考えてみると、私はAくんのことをほとんどナニも知らない。この「Aくん」という名前にしても「居酒屋ネーム」のようなもので、おそらく本当の名前とはナンの関係もないだろう。私が知っている個人情報といえば、Aくんが学校の先生だということぐらいである。
ん!? 、これも怪しいな。
毒舌トークの節々に学校の話題が出てきたりしていたので、勝手にそう思い込んでいるだけで、本人に確認したわけでもなく、実際のところは本当に学校の先生なのかどうかは定かではない。
おそらく、ほぼ学校の先生なのだろうとは思うけれど、一言で学校の先生と言っても、いろいろな学校の先生がおられるわけで、ま、そんなことはどうでもいい、ナニも知らないからいい塩梅なのである。Aくんにしても、この私のことなど、なにも知らないのだから。でも、なぜか気が合う。なぜか楽しい。酒場の社会学は匿名性の社会学、だからこそ素晴らしい。だからこそ酒が美味しい。
ん~、あのAくんのことだから、とうとう堪忍袋の緒が切れて早期退職、なんてことになりにけり、なのかもしれない。それとも、疲れ果て、ポキッと心が折れてしまって病院で療養中、などということはないだろう、と思う。きっとない。ひょんなことから眠れるハートにポッと火がついて愛の逃避行、あってほしい気もちょっとするけれど、ないな、おそらく。退職を機に気ままなひとり旅、田舎に土地を買って自給自足、まさかの政界入り?、ひょっとすると仏門に?、そんなこんなのあアレやこコレやを勝手にイロイロと考えたりしているうちに、そろそろ御暇(オイトマ)する時間になったようである。
勘定を済ませて帰ろうかと席を立とうとした、まさにそのとき、かなり建てつけの悪い引き戸の扉がガタガラガタガラ~っと、その建てつけの悪さを見事に際立たせる音を立てながら、ゆっくりと・・・。(オオッと、つづく?)