水菓子 その六
「ガッコ ノ センセ ハ セカイ ノ マドグチ」
「学校の先生は世界の窓口」
学校は社会の縮図、なら、聞いたことがあるが。
「様々な世界に繋がる窓口なんだ」
様々な世界に?
その窓口業務を行うのが学校の先生?
ん~。なんとなく、わかるような、わからないような。
「小さな窓ではあるけどね。でも、学校の先生というその窓から、子どもたちは、ジワジワと、ジワジワと、世界を、世界のアレやらコレやらを、見ることになる」
学校の先生が、子どもたちの「目」になる、ということだろうか。いや、微妙に違うか。
「だから、だからこそ、自分が納得できないことは、安易に、無責任に、子どもたちに伝えるべきではない」
安易に、無責任に、伝えるべきではない、か~。
トップダウンで降りてくる歪んだモノ、厄介なモノ、きっとあるに違いない。ソレを窓口の先生が握り潰す、などということは、そう簡単にできることではないはずだ。
「しかしながら、それでも、致し方なく伝えなければならないときは、そのコトが齎(モタラ)す、かもしれないマイナス面も、目一杯、丁寧に、伝えなきゃダメだ」
おっしゃる通りだ。
しかし、そんなコトが、ホントにできるのだろうか。学校現場の先生の立場は、そんなに強くはない。
でも、あの時の、Aくんは、あたかも、情報の垂れ流しとしか思えないニュース番組のような、そんな授業ではダメなんだというコトを、訴えたかったのだろうな。
そして、こう締め括(クク)ったのである。
「たとえ小窓であったとしても、だから、だから、だからこそ、先生という職業は面白いのだ。だから、だから、だから、だからこそ、疲れ果て、もう、エネルギーなどほとんど残っていなくとも、どうにかこうにか不死鳥のようにファイトが湧き上がってくる」
不死鳥のように、ファイトが湧き上がってくる、か~。
多くの先生たちが、マジでドップリと、疲れ切っているようにしか見えない今日この頃であるだけに、そうであってほしい、と、そんなふうにファイトが湧き上がってほしい、と、心から思う。
しかし、そう、熱く、畳み掛けるように語ったAくんのその瞳のその奥の奥で、行き場を失った質の悪い疲労感のようなモノがドンヨリと澱(ヨド)んでいるように見えたものだから、それからズッと、私の気持ちは晴れないままだ。
そんな、気持ちの晴れない曇天の中を、まさにその時、Aくんがよく口にしていた「失望と絶望」が、ス~っと重々しく低空飛行していったような気がしたのである。
(つづく)