止め肴 その五
「オトナシイ モンダイ」
小学生の頃、私は、基本、授業中、自分の世界に没入してしまっていた。そのため、すでに習っていたはずの様々な事柄に、テスト時に初めてご対面、などということは、当然のごとく日常茶飯事。
「え~、こんなの、習ったっけ」
先生たちにはタイヘン申し訳なく思っているが、それほど、授業中、ナニも聞いていなかったのである。
たとえば、漢字テスト。
おそらく、授業で、既に習った漢字なのだろうけれど、私の場合、たいていの漢字は、テスト時に初対面なのだ。ナゼにその漢字なのか、ナゼにそう読むのか。たいていは、テストの後で「な~るほど~」と、感心、納得する。しかし、稀に、「んんんんん?」と、思ってしまう漢字との出会いも、もちろん、あったりする。
そう易々とは感心も納得もできない、まさに、ナゾがナゾ呼ぶナゾナゾ漢字ワールド。
そんな、ナゾがナゾ呼ぶ漢字の一つが、「オトナシイ」。
そう、「オトナシイ」、で、ある。
当時、勉強嫌いの純粋無垢な少年であった私は、あるテストで、この「オトナシイ」と遭遇する。「オトナシイ」を漢字で、という問いだ。全くもってピンとこない中で、私なりに悩みに悩み、考えに考え抜いた末に、辿(タド)り着いた答えが、「音無しい」。
そう、「音無しい」、で、ある。
見れば見るほどドンピシャで、会心の解答だな、と、自信満々に自画自賛。で、あったのだけれど、悲しいかな、残酷にも真っ赤な❌が、容赦なく、その、返ってきた解答用紙の「音無しい」の上に。すぐさま、隣の席の友だちの解答用紙のその⭕の下に書かれた「オトナシイ」の漢字を見て、心底、愕然としたことを、今でもハッキリと覚えている。
「大人しい?」、 「大人?」、 「しい?」。
そう、なんと、「大人しい」、で、あったのである。
そのときの私には、 「大人」と「おとなしい」とが全くもって結び付なかった。クラス中が、もちろん先生も含めて、グルになって、ふざけているのではないかとさえ思ったほどである。そして、あれから随分と年月が経ったが、今でもその二者は結びつかないままでいる。
大人。
おとなしい。
おとなしいか?
おとなしくなければ大人じゃないのか?
たしかに、無駄に騒々しい大人はいただけないが、「おとなしい」だけの大人は、もっといただけないのだ。
一度、Aくんに、「どう思います~?」、と、問うてみたことがある。
すると、間髪いれずに、Aくん、「おもうツボかもしれないな~、大人しい大人は都合がいいから」、と。
おもうツボ?
大人しい大人は都合がいい?
なるほど、なるほどな~。
悲しく、空しく、なるほどに、ストンと腑に落ちてしまう。
またまた、あのキング牧師に、叱られてしまいそうだ。
(つづく)