ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.51

止め肴 その四

「クンサ~ン モンダイ」

 小学生の頃、午前中の授業で終わる土曜日、帰宅後の密かな楽しみが『お笑い花月劇場』(朝日放送)であった。とくに岡八郎船場太郎は人気があったように記憶する。

 その岡八郎、奥目の八ちゃんの、泣く子も黙る、いや、笑う、必殺のギャグが、「くっさ~」だ。わかっちゃいるけど笑けてしまう、というところが、まさに「必殺」であったのである。

 奥目の八ちゃんの「くっさ~」は、国宝クラスの必殺ギャグで素晴らしかったのだけれど、巷の「クンサ~ン」問題は、どうもワケがわからない。

 そう、クンとサンの、クンサ~ン問題。

 「そういうことは私にお任せください」みたいなオーラを全身からプンプンと放出しておられる某評論家が、「クンサ~ン問題」をTVで自信満々に解説されていた。しかし、聞いている私は、悲しいかな、さらにワケがわからなくなってしまったのである。

 Aくんは、たとえば、上司が部下に対して「〇〇くんなんて言う場合の「クン」に対しては否定的だ。たしかに、なんとなく偉そうである。ただし、子どもたちのコミュニケーションの中での「クン」「サン」については、前者のソレとは全く違うものとして捉えている。女子が男子に対して「〇〇く~ん」と呼んだところで、ドコが偉そうか。ドコに差別の臭いが漂っているのか。と、いつだって、Aくんは、ソコのところに疑問を呈する。

 しかしながら、ひょっとすると、女子が、とか、男子が、とか、と、いった、あたりからのデリケート なヤヤコシイ話なのかもしれない。となると、ますますワケがわからない、な。

 トにもカクにも、この、ナゾがナゾ呼ぶナゾナゾ「クンサ~ン」問題ワールド、そもそもが大人目線。大人は、よほどの事態でない限り、そう易々と子どもの世界にドスンドスンと踏み込んで、とやかく言ってはいけない、というのが、Aくんの持論。だいたい、そんな風にドスンドスンと踏み込んでくるような大人に限って、本格的なよほどの事態が起こった時には二の足を踏むことが多かったりするのだから、ナンともカンとも、大人目線はドップリとズルく、大人の事情マミレなのである。

 ん~、ソコまで、「クン」とか「サン」とか、と、いったものに拘(コダワ)るのなら、この際、男女問わず大人も子どもも、オール「チャン」でいけばどうだろう。某国民営放送局のニュースあたりで、「首相の〇〇ちゃんが国会で」なんてことになれば、ナンとなく漂う政治の世界の胡散(ウサン)臭さも払拭できて、今よりは楽しくなってくるかもしれない。(つづく)