箸休め
「サヨナラ ドッキンチャン モンダイ」
少し前、あの「ドキンちゃん」の声を担当されていた鶴ひろみさんが亡くなられた、という報道を耳にする。なんと、57歳という若さだ。
鶴ひろみさんと言えばドキンちゃん。ドキンちゃんと言えば鶴ひろみさん。で、あっただけに、ドキンちゃんと共に、手を取り合って、仲むずましく、極楽浄土へ、天国へ、という思いが、私の中にはある。ドキンちゃんには申し訳ないけれど。
サヨナラ、鶴ひろみさん。
サヨナラ、ドキンちゃん。
そんな鶴ひろみさんとも、ドキンちゃんとも、全くもって関係はないのだけれど、ナゼか、ふと、ある日の、ある、Aくんとの何気ない会話のコトを思い出す。
ソレは、ワクワク、ドキドキ、の、話。
幼き頃のAくんは、尽きることのない好奇心と枯れることのない驚きとで、毎日がお祭り騒ぎのようであった、という。
そう、毎日が、好奇心と驚き、まみれ。
その感じ、この私も、負けず劣らず、秘密基地づくりやら蛇退治やら金鉱探しやらで、とても忙しい日々を送っていたので、わからなくはない。
ところが、そうした、永遠に尽きることも枯れることもないと思い込んでいた「好奇心」やら「驚き」やらといったモノが、時の流れの中で、ジワジワと、ジワジワと減少し、今では、もう、ほとんど絶滅危惧種だ、と。
そう、絶滅危惧種。
たしかに、そう言われると、そんな気がする。
あれほど好奇心と驚きで、まみれまくっていた毎日であったのに、今は、もう、悲しくなるほど、ほとんど、まみれてなんていない。
Aくんは、その原因を、この世の中が、そういう好奇心やら驚きを奪い去るようなサビシイ世の中に成り果てたから、と、最初のうちは思っていたらしい。しかし、実際はそうではなく、全ては、自分自身の問題であり、自分の中の大切なナニかが枯渇していっただけのこと、と、気付かされたという。
自分の中のナニかが枯渇していった、か~。
私も、もう、あの頃の、ナンでもカンでも、ワクワク、ドキドキ、していた自分ではない。そして、もう、あの頃の自分に戻ることはないだろう。
そう、サヨナラ、ワクワク。
サヨナラ、ドキドキ。
あっ、あ~。
「サヨナラ、ドキンちゃん」ならぬ、「サヨナラ、ドキドキ、ドッキンちゃん」だ。
全くもって関係ないとしか思えなかった両者が、繋がった。
サヨナラ~と手を振って、目の前から消えていこうとする、そんなドキンちゃんも、そんなドキドキドッキンちゃんも、ドチラも、ホント、切なくて、悲しくて、辛くなる。
遥か遠い昔の、ヤタラとキラキラしていたあの頃の自分との、切なくて、悲しくて、辛い、そんな、「サヨナラ、ドッキンちゃん」なのだ。(つづく)